昨日、Twitter(X)で、長年の毎日新聞の購読を解約した、という呟きを見かけたので、
私も一応、ご報告しておこうと思う。
あれから慎重に検討した結果、
私は、解約しないことにしました。
どう考えても、あのアホらしくしょうもないコラム一つで、他の朝刊の素晴らしいコラムや特集記事、大好きな書評欄、といったものがすべて読めなくなるのは勿体なすぎる、という結論に至ったので。
あのつまらないコラムを載せたことは、毎日新聞として大いに反省してもらいたいし、意見も送った。あれ自体、前回も書いたように新聞社としての信用問題だと考えることに変わりはない。
しかし、あの小さなコラムを載せたことが、社としての『意志』だったか、というと、恐らくそうではないだろう。
執筆者本人は毎日新聞社の人間ではないし、依頼したコラムの内容を確認するのは恐らくデスクの仕事で、デスクが今回のコラムの内容について上にお伺いをたてない限り、それはそのまま載せるのが通常なのではないだろうか。
あのコラムに問題がないという判断自体が、大いに問題だった。そこまでの問題意識を持てなかったことを追求すべきではあるが、それを『社としての意志』とするのは違うと思う。
しかし、今回解約しないことにした一番の理由は、倉澤記者や貝塚さんである。
あのような記事を見過ごしたことは大きな人権上の問題であると今も考えているし、そこについては、今後の毎日新聞社全体の仕事をしっかり見てゆくしかないと私は思っている。
しかし、それと引き換えにするには、倉澤記者や貝塚さん達の仕事は、あまりに惜しすぎる。
そう考えて、今回解約しないことにした。
私が以前の新聞を変えようと思ったのは、
フィギュアスケートのニュースを自社で取材せず、共同通信の記事を載せるようになったからだった。
その頃の共同通信のフィギュアスケート関連の記事には、私は不誠実さを感じてーー羽生選手のこともーーちゃんとした取材をしているのだろうか、と思っていた。
取っていたのが地方紙だったので、恐らく、発行部数が減ってやむを得ないのだろうと思ったから、新聞社自体には気の毒だと思ったが、これは改善は見込めないと考えて変えることにした。
(あれから私は、共同通信の記事は注意して読むようにしている。本当にきちんと取材して書かれているかどうか、信用出来ないと思ったので。)
そして変えた先が、毎日新聞だった。
何度も言うが、毎日新聞の朝刊のコラムや特集記事は、私がこういうものが読みたかった、と思っていたような素晴らしいものだったので、私は変えて良かった、と大変満足した。
丁度その頃、倉澤記者がフィギュアスケートの担当になったのではなかったかな、と思う。
私が倉澤記者が凄いな、と思ったのは、記者に有りがちな固定観念で記事を書こうとせず、多くのファンが上げている声を拾い上げて、そこに本当に何か有るのではないか、と考えたことだ。
それまで連盟等から示されるものに疑問を持って、自分で取材して突っ込んだ記事を書こうとする記者はなかったと思う。
倉澤記者はそれをやった。
羽生選手のプロ転向の記者会見で、倉澤記者があのような質問をしたのは、それまでの彼自身の真摯な取材の結果だ。
そして、今でもフィギュアスケートに関しての彼の記事は、しっかり自分で取材して書いていらっしゃる。フィギュアスケートというものに対するリスペクトを以て。
記者は、自分の好き嫌いというような偏見をもって記事を書くことが有ってはならない。
彼のような記者がフィギュアスケートを担当して下さっていることは、フィギュアスケート界ーーひいては、羽生選手自身にとっても、大変に貴重で有意義だと私は思っている。
私は以上のような理由から、解約は見送ることにした。
しかし、今回解約された方を非難するつもりは毛頭無い。
それぞれ自分の価値観、事情で行動するのは当然のことだから。
それから、驚いたのだが、貝塚さんがインスタで今回のことについてお詫びを述べられていた。
貝塚さんや倉澤記者は、今回のことに全く関係はない。
貝塚さんは恐らく、もう羽生選手のファンと殆ど同じ様な気持ちをお持ちなので、そういうことを述べられたのかな、とは思うが、、、
まさか、貝塚さんに今回のことについて何か言ったり、フォローを解除したりというような馬鹿なことをするファンがいたとは考えられないのだけれども。
もし万が一、そんな方があったのなら、頭を冷やしていただきたい。
それは、社会人としての良識を疑われる行為だから。
先日の北海道新聞のコラムに、多くのファンが共感していらっしゃったと思う。
貝塚さんは毎日新聞の写真家である。
写真家も、こういうことで感情労働を強いてよい相手ではないはずである。