学生時代に打ちこんだことですが、私は大学時代のことを書きましょう。私が大学時代に打ちこんだことは、少林寺拳法です。
大学に入る頃、僕を熱狂させていたのは、“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーでした。
その影響で柔道をやっていたのですが、大学に入ったら打撃系の格闘技も学びたいと思い入学してすぐ、部活選びでたまたま覗いた少林寺拳法部の練習を見て、直感で入部しました。
少林寺拳法部は伝統のある部活で昔ながらの上下関係が厳しい部でした。
先輩がトイレに行くときは同行しトイレの外で待ち、トイレから出てきた先輩に
「失礼します!」
と言ってハンカチを渡す、そんな感じの部でした。
学ランが正装だったので大事な集まりがあるときは学ランで登校していました。
皆、自由な格好している大学のキャンパスで、学ランを着て過ごすことになるとは、なんだか思っていた大学ライフと違うなぁと思ったりもしましたが、ま、そんな自分も悪くないと思っていました。
一番の思い出は夏合宿。
一週間にわたって千葉の海岸沿いの民宿に泊まり鍛錬するのです。目的は少林寺拳法の技術を磨くというより、肉体的に追い込んで精神を鍛えることに重きを置いてました。
要するに先輩による「しごき」です。
この合宿は昔からの伝統があるということで、海に向かって蹴りを打ち続け、そのまま海の中へ向かっていき、溺れそうになっても、木刀で頭を叩かれて蹴り続けた、なんて話も聞きました。
合宿前日に先輩に言われたことは、
「お前ら全員病院送りにしてやる!」でした。
私たち一年は、どんなことが待ち受けているのだろうと戦々恐々としていました。
合宿の内容は先輩が言っていた通り厳しいものでした。
蹴りや突きをひたすら打ち続けたり、拳立て(拳による腕立て伏せ)や屈伸蹴り(スクワットして立ち上がって蹴りを放つ)などを、何百回も行ったりするものでした。
ただ、これぐらいの鍛錬は想像の範囲内だったので、なんとか耐えられると思っていました。
すると、合宿三日目。
とても怖いと評判のOBが合宿に顔を出したのです。
先輩も含め、全員に緊張が走りました。
粗相のないように振舞いました。
しかし、予想外の試練が待っていました。
このOBは差し入れを持ってきてくれたのですが、何故かアイスを大量に買ってきたのです。溶けてしまうし、OBに失礼にならないように、全部すぐに食べなくてはいけません。
私たち1年は必死で食べました。
OBは満足して帰られましたが、私たちは全員、お腹を壊しました。
病院送りってこのことかぁ…痛むお腹を抑えながら1年の仲間と呟きました。
そして、合宿五日目。
ついに監督が顔を出すとの情報が入りました。
監督はどんなに怖いOBですら頭が上がらないという、最も怖い人物という話でした。
少林寺拳法の総本山は香川県の多度津というところにあるのですが、その総本山にある少林寺拳法創始者の銅像によじ登り、ピースした写真を撮ったことがあるという伝説がある方なのです。
五日目の朝。
今日、本当の意味で病院送りにされる、憂鬱な気分で誰も口を聞きませんでした。練習が始まってしばらくして、監督が練習場に現れました。
皆、一列になり、緊張しながら挨拶をすると、監督は笑顔で「いいから、練習を続けて」と言いました。
私たちがいつもやっている練習を監督は何も言わず笑顔で見守っていました。
そして、朝の練習の最後のメニュー、1年のみがやらされる筋トレの時間がやってきました。
すると、今まで黙って見ていた監督が急に口を開き、
「よし、今日は俺が(内容を)決めるぞ!」と言いました。
来た!
とんでもないメニューを課せられる!
1年全員が直立不動になり、監督の口に注目しました。
そして、監督が口を開いて言った言葉は、
「よし!拳立て10回!」。
じゅ、じゅ、じゅ、10回!?たった10回!?
内心、天と地がひっくり返るぐらい驚きつつ、全員元気よく「はい!」と答え、10回拳立てをやり立ち上がりました。
すると、監督は笑顔で「よし、海行くか?」と。
午後の練習はなくなり監督も含めみんなで海水浴になりました。木刀で叩かれて沈まされると思っていた海で、私たち1年は楽しくはしゃいで過ごしました。
夜、自分たちの部屋に戻り、私は仲間に、「拳立て10回はびっくりしたね」と言いました。
仲間は、「あの瞬間、涙が出るかと思ったよ」と言ってました。
「拳立て10回!」。
蒸し暑い練習場に響いた監督の凛とした声。
私の一生忘れられない瞬間です。
夏合宿の鍛錬の厳しさも、監督の束の間の優しさも、私にとって大きな財産になっています。
自分への厳しさを忘れず、優しさを持ち合わせて生きていきたいなと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
坂口昇司