沖縄サンバカーニバルの東京ミーティングに来てくれた皆さん、どうもありがとうございました。
 東京で色々と意見交換ができて、とても有意義でした。
 2011年のカーニバルに向けて、また頑張りましょう!
 今年は「海人(ウミンチュ)」がテーマです。みんなの心にある、海人をダイナミックに表現したいですよね。
 今、私は自分のチームのハイーニャ(サンバ・クィーン)と腕のたすきを作る準備をしています。
 私たちのチームは、毎年、王室メンバーであるコルチに、年度の入った、ファイシャ(たすき)を進呈してくれています。

 それは、本当にありがたいことで、私は、このたすきを何よりも大切にし、強盗にあって、お金はとられても、たすきはとられないようにしよう、とさえ考えています。

 ここ3年ほどの流行なのですが、体に斜めに大きく入るたすきに代わって、腕のたすきというものが出てきました。

 なぜ、これに人気が出てきたのかというと、カーニバルの練習着や衣装の邪魔をしないからです。

 私は、このたすきも衣装の一部、むしろ体をカバーしてくれる大事な小道具だと思って、いつも愛用していたのですが、衣装をもっと前面に見せるには、胴体のたすきより、腕のたすきの方がすっきりくるわけです。

 来るべき、チームの創立記念フェスタに間に合うよう、私たちも腕のたすきを作ることにしました。

 腕のたすきにも、チームのロゴを入れたいのですが、幅わずか10センチ程度で、腕にくるりと巻くだけなので、布地の面積が足りません。どんなデザインにするか、ハイーニャと色々相談をして決める予定です。

 仕上がったら、ブログに写真を掲載しますので、どんな腕たすきになるか、お楽しみに!
 

 サンパウロの多くのサンバチームは、この時期、来年のカーニバルの主要メンバーを決めます。歌手、打楽器の指揮者、カーニバルの演出家、旗持ちカップル、コルチ(王室)などがそうです。

 あるチームでは、12年連続、このチームで旗持ちダンサー、ポルタ・バンデイラを務めていた女性がクビになってしまいました。
 私は、彼女が12歳のときから、このチームで子供ポルタ・バンデイラとして頑張っていた時代をよく知っているだけに、残念でなりませんでした。

 でも、チームが優勝するためには、高得点を取れるポルタ・バンデイラを他チームからスカウトすることが大事になってしまうのです。

 また、バテリア(打楽器)の指揮者も、カーニバルの成績が悪いと、交代になってしまいます。バテリアの一メンバーとして長年叩いていて、同じチームのメストレ(指揮者)にたたき上げでなっていた人も、クビになってしまいました。

 チームをよく変わっている人ならまだしも、ずっと同じチームで長年やっている人が、ポジションをなくしてしまったら、どこへ行くのでしょう。

 かく言う私もサントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンのコルチ(王室)に入れてもらって、11年目。コルチの寿命としては異例の長さです。去年は、ハイーニャ(女王)と二人、この時期、私たちの場所はどうなるのか、と幹部のメンバーに尋ねていました。

 私は自分からコルチからはずれても、このチームで続けていきますが、サンビスタ(サンバ人)にとっては、今は、ドキドキする時期であるのです。
 
 それでも、主要メンバーが誰であれ、チームは続いていくのが、カーニバルの醍醐味であると思います。


 昨日は、サッカーのロナウド選手の「引退試合」で、ブラジル代表に最後に出場しました。私がこのところ、サントスFCの試合で、よく通っているサンパウロ市内のパカエンブー球場が会場だったこともあり、テレビで見ていても、とても親しみをもてました。

 ファンへの最後の挨拶で、ロナウド選手は「ブラジル人として誇りをもっています」とブラジル国民の胸に響く言葉を述べました。
 
 思えば、オ・ペイシの歴史もロナウドと共にあります。
 
 2002年6月、7月。沖縄市でサンバ居酒屋「オ・ペイシ」をやっていたとき、ブラジル代表で、ロナウドは華々しいプレーで、ブラジル優勝をもたらしました。沖縄市のパークアベニューのオ・ペイシの前で私たちは、サンバで応援し、大勢のお客さんと共にブラジル優勝を心から祝ったものでした。

 翌日には、オ・ペイシの近所に住む人のところへワインを持って「昨日は、うるさくてすみませんでした」とお詫びに行った途端、わーブラジルは、本当に優勝したのだ、と感動がどっと押し寄せて、泣けてきました。
 
 当時、まだ保育園へ行っていた息子は、このワールドカップ中、夫に連れられて床屋へ行き、髪をおでこに一部だけ残すロナウドカットにして、保育園の先生や友達に驚かれていました。
 
 去年、コリンチャスでプレーをしていたロナウドを見たときは、相変わらずの名シュートを決めるサントスのうらむべき敵でした。
 でも、こうして現役サッカー選手を引退していくロナウドを見ると、心から言いたいです。たくさんの感動をありがとう!


 サントスFCは、リベルタドーレス杯準決勝を見事勝ち抜き、決勝へ進むことが決まりました。準決勝の最終戦は、パラグアイだったため、応援団からは2台のマイクロバスが出ました。残留組の私たちは、ジョーベンのクアドラ(体育館)の大スクリーンで応援観戦をしました。
 決勝進出が決まった途端、何が起きたでしょう?

 応援団旗を持った人たちを先頭に、大通りへ突進。ジョーベンの近くには、サンパウロ中心部と東部をつなぐ幹線道路があります。片道3車線の大きな道で、東京でいえば、国道246のような道です。
 そこで、時速80キロくらいの速度でビュンビュン走る車の通行を止め、「サ~ントス!」と叫びながら、道路の真ん中に人が押し寄せ、フェスタを始めたのです。
 団旗をふる人。太鼓を叩く人。飛び跳ねる人。歌う人。
 誰も止められません。

 突然、大渋滞になり、こんなことをしていいのか、と思いながらも、私は車の通行が止まったことを幸いに、反対の道に渡り、終バスを逃しては大変、と家路へと急いだのでした。

 先日のパウリスタ杯決勝、最終戦。サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンでは、出発前に、恒例の結団式があります。壇上に、応援団の創設者や会長ら幹部が立ち、みんなを激励します。テレビの取材も、よくこの場に来ます。

 この日のある幹部の言葉には、感激をしました。

「サッカーをただ、観戦するだけの人は、僕らと一緒に行かないでください。サントスの応援団なんだから、コリンチャンスに勝ちに行くのは、僕らなんだから!」

 みんな、この日のチケットを手に入れるために、朝5時から列に並んだいる人もいるくらい、大変な思いをしています。だけど、単純に観戦に行くためだけではないのです。
 チームと共に戦う。これぞ、応援団の魂なのです。

 どこの応援団もそうですが、試合中の90分間、ジョーベンは一時もサンバの演奏を止めません。そして、私たち応援団もずーっと歌を歌い続け、拍手をし、ジャンプをしながら応援をしています。

 応援の甲斐あり、この日は、2-1でサントスFCは、2年連続、パウリスタ杯で優勝しました。

 今は、リベルタドーレス杯の準決勝。明後日には、パラグアイに向けて応援団のバスが出発します。バス30時間で敵地に乗り込みます。行きたいけれど、息子は学校を3日休むことになるので、ちょっと無理はできません。
 こんなことでは、応援団の資格はないかな? (笑)

 先週末は、サンパウロ市内の複数の主要エスコーラで、2012年のカーニバルに向けたイベントがありました。

 私たちが所属しているモシダージも、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンもよりによって、同じ日にフェスタがありました。この他、ヴァイヴァイや、久しぶりに1部リーグに復帰したカミーザ・ヴェルジでもフェスタがあり、もう少し分散していれば、他のチームにも行けるのですが、同じ日は厳しいです。

 この日は、ジョーベンのビール飲み放題、フェスタ・ド・ショッピだけにしておこう、と体力を温存していたのですが、それでも夜になると、やっぱりモシダージにも行きたい!と無謀にも一晩に2箇所へ行ってしまいました。

 モシダージの今年のテーマは、ブラジルの代表的作家、ジョルジ・アマードの生誕100年を記念して、アフロ系の物語「オジュオバ」だそうです。一瞬「おじい、おばあ」という沖縄サンバカーニバルのテーマかと思いました。(笑)モシダージは、アフロ系をテーマにすると優勝する、と代々言われているので、昨年の巻き返しをしたいところです。

 ジョーベンは、翌日がパウリスタ杯の決勝。サントスFCのチーム歌を歌うのにも、踊るのにも、本当に力が入りました。フェスタ会場では、サントスFC代表のルイス・アウヴァーロ会長が来て、挨拶をしてくれました。我々コルチ(王室)のダンサー1人ずつにも声をかけてくれて、感激しました。

 私はとっさに、「ボン・ジョーゴ アマニャン(明日、いい試合を)」と言うと、「オブリガード」と返してくれました。会長と言葉を交わすことができたなんて、ラッキーです。



 

 金曜日 朝、サッカー観戦チケットの列に並ぶ、夜、サンバ練習、土曜日 フェスタ・ド・ショッピ(ビール飲み放題、サンバ応援大会)、日曜日 サントスで試合(パウリスタ杯決勝!)、月曜日 リベルタドーレス杯のチケットの列に並ぶ

 この4日間、毎日、ジョーベン、ジョーベン(サントスFC応援団)。行く場所も同じなら、会う人も同じ。朝会い、仕事の後、また同じ場所で、同じ人たちに会い、みんなお互いに、よく来ているものだと感心をしています。

 実は一昨日もジョーベンで、サントスFC リベルタドーレス杯の観戦をしました。試合の場所は、コロンビアだったので、クアドラ(体育館)の大型スクリーンで、みんなで観戦。スタジアムと同様、太鼓を叩きながらの白熱した応援。写真のように、発炎筒をたき、会場は真っ赤でした。

 今日から4日間もカーニバル並みのハードスケジュール。サントスがうまく勝てますように! リベルタドーレスで優勝すれば、サントスは日本で戦うのです。

 夢が一歩ずつ現実に近づいています。

 サンバの話ばかりでしたが、今日は全く毛色の違う話を。
 夫婦共々サンバにどっぷりつかっている家庭で育った我が家の息子ですが、中学生になったらゴーイング・マイ・ウェイとなり、サンバ以外に自分の好きなことを見つけました。
 学校の放課後のレッスンで始めたフェンシング。なぜまたフェンシング? と思うのですが、ブラジル人にとってのフェンシングは、もしかすると、私たち日本人にとってのサンバなのかもしれません。つまり、自分の国にはない文化に興味を持ってやっているわけです。

 先日、その大会がある、というのでサンパウロ市内のスポーツクラブに観戦に行ってきました。電気が通るコードを体につけた状態で戦う、ということを生まれて初めて知りました。勝負が即決で出て、子供でも、なかなか見ごたえがありました。

 日本人の子供たちが、異文化のサンバを頑張ってやっているように、ブラジルの子供たちも、「アレ!(行け)」というフランス語の掛け声で、フェンシングをやっていて、微笑ましくもありました。

 前回の北京オリンピックでは、フェンシングの日本人の銅メダリストが出たそうで、フェンシング、結構、面白いのかもしれません。

 モシダージ・アレグレで10年ハイーニャ・ダ・バテリア(サンバ・クィーン)を務めていたナニが、今年はライバルチームであるヴァイヴァイで出場しました。これは、サンパウロの多くのサンビスタ(サンバ人)にとって、驚くニュースで、一体何があったのだろう、と色々なデマが飛び交いました。
 ナニは、オ・ペイシのダンス講師とサンバ・メイクの講師を務めてくれているので、オ・ペイシを愛用してくれている人たちには、勝手な推測に惑わされないよう、本当のことを伝えておきたいと思います。

 ナニはモシダージで世の中に出たサンバダンサーで、この10年、チームで本当に献身的に踊っていました。2006年、パレード中に審査員席の前で、ナニが頭飾りにつけていた花火の仕掛けが、彼女の顔に向かって噴き、大やけどを負いながらも、最後まで踊り続けたことを知っている人も多いでしょう。

 2008年に男の子を出産した彼女は、翌年のカーニバルにはバテリアの前ではなく、山車のデスタッキ(主役ダンサー)として、子供たちに囲まれて出場。我が家の息子も、ナニと同じ山車で彼女の近くにいたお陰で、テレビによく映してもらえました。
 2010年には、再びバテリアの前に復帰。でも、今年のカーニバルでは、バテリアの前は、ナニとペアを組んでいた、子供ハイーニャのみ。ナニは、モシダージでは出場しませんでした。

 彼女が今年出た、ヴァイヴァイは、彼女のご主人のチームなので、ナニが出るのは何も不思議なことはありません。クラシック音楽がテーマだったので、ナニはヴァイオリンを弾きながら見事にサンバをしました。
 この9年、常に上位に入っていたモシダージは今年は7位でしたが、ナニが出場したヴァイヴァイは優勝で、彼女が運をもたらした、とも言われました。

 ナニはモシダージでは出場しなかったけれど、それでも「自分のチームはモシダージで、モシダージを愛している」と言っています。
 彼女のように才能あふれるダンサーは、どこのチームへ行っても活躍できると思います。

 ナニは、モシダージのハイーニャではありませんが、オ・ペイシでは引き続き、彼女のサンバレッスンとサンバメイクをしています。このブログを読んでくれた方も、機会があったら是非どうぞ。