サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンのカーニバル当日。いよいよパレード出発、というとき、私がサンビスタとして尊敬するジョージがボロボロのドブネズミのような、格好で皆の前に登場しました。

 なぜ、彼がこんな汚れた格好で、晴れのカーニバルに来たのか、一目瞭然です。
 徹夜を続けて、今の今まで、パレードに出す山車を作っていたのです。

 この彼は、私のバテリア(打楽器)の先生で、カイシャ(スネアドラム)のバチの持ち方から教えてくれた人です。
 サンバの打楽器は、何でも演奏でき、バテリアの指揮者もできます。作詞作曲もでき、毎年の選曲会では常連のメンバーです。歌も歌え、特に、サンバが始まる前のグリット(雄叫び)が上手く、他チームの選曲会にも雇われているくらいです。

 これだけ音楽的才能がありながら、ここ数年の彼のポジションは、アルモニア(統率係)。しかし、できるサンビスタは、どの役についても、力を発揮できるものです。練習では、マイクを持ち、皆に振り付けの指導を率先してやっていました。

 アルモニアはカーニバル当日は、チームのおそろいの服に白ズボン、白靴、といったきれいないでたちで、皆を誘導するのですが、ジョージは、華やかなカーニバルとはまるで縁遠い薄汚い格好でバテリアの前に現れ、両目を涙で真っ赤にしながら、「ボン・デスフィーレ!」(いいパレードを!)と、みんなに声をかけてくれました。

 彼は、溶接もでき、カーニバルの作業場でずっと働いているので、今年の私の衣装の骨組を溶接してくれました。サンバの作業のほぼ全てができる人、彼こそサンビスタであると思います。

 いざ、パレードコースに入ったら、彼は、コースの通路をボロボロの服に、数日間連続で、徹夜でパレード会場で作業をしていたらしく、身の回り品を入れたリュックを背負って通路に入りました。
 そこでも、アルモニアの力量を発揮し、出場者がパレードコースをフルに広がるよう、誘導をしていました。

 サンバの才能のある人ほど、裏方を務め、パレードの縁の下の力持ちとなる。
 サンビスタとは、かくあるべきだと思いました。

 オ・ペイシの「沖縄サンバカーニバル」も、裏方を務める人がどれだけいるかで、カーニバルの成功が決まるのだと、しみじみ感じました。踊ること、楽器を叩くことが、カーニバルでは決してないのです。

(写真は、ジョージが作った先頭の山車。有能なサンビスタは、何でもできる。)

 カーニバル前の話に戻りますが、恒例の最後のイベントの日、サンパウロは大洪水に見舞われました。
 サントス行きのバスが出発する練習場に行こうにも道は大渋滞。これでは出発時間に間に合わないと思い、途中でバスを降り地下鉄に。しかし地下鉄も改札口から人があふれ出ていて整理入場です。

 途中、同じチームの仲間と会い、出発予定時間を過ぎているので小走りで行きましたが、唖然としました。練習場へあと50メートルの場所で、水が電話ボックスの高さまで来ている大洪水。もう海です。幹線道路も車が完全にストップ。これでは私たちが乗っていたバスがここまで到達できるわけもありません。

 洪水を見て、すっかり固まってしまったチームのメンバーが10数名。
「こりゃ、舟がないとクアドラ(練習場)までたどり着けないね」と真顔で話しました。
 こんな大洪水で、今日のサントスのイベントは、もうあるわけない、クアドラにあるサンバの楽器も取り出すこともできない、ということで、メンバーが1人、また1人と断念して帰って行きます。

 私もこりゃだめだ、と内心思いましたが、コルチ(王室)の一員として、さっさと帰るわけにもいかず、「もう今日はイベント中止だよ」という夫を引きとめながら、自分の身長より高い位置まで溜まっている泥水を橋の下で雨をしのぎながら、見ていました。

 2時間後に残留メンバーは、我々夫婦を含めて5名のみ。少し水は引いたかな~と思いクアドラへ近づきましたが、まだ無理。
 別の場所で雨宿りをし、ようやく雨がおさまったころ、クアドラへ行ってみると、カーニバル直前の追い込み制作をしていた人たちが、みんなモップを手に水を外へ掃き出しています。

 今年4回目、クアドラは大洪水に見舞われました。洪水の後片付けに各地を回っている市の清掃車が来て「このチームはいつパレードなの?」と心配そうに見ています。
 こんな状況でも、この日、サントスへ出発しました。

 ハイーニャ(サンバ・クィーン)もタクシーの中で2時間動けず、さらに1時間以上歩いて、とへとへとになりながら到着しました。
 サントス球場では、雨の中のパレード。それでもみんな、来るのですから大したものです。
 サンビスタ(サンバ人)はこうでなければいけないですね。(笑)

 (写真は、大洪水の後、決行したサントス球場前のサンバイベント)


サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンのカーニバルが終わりました。

 この日を迎えるまで、本当に色々なことがあったので、無事に終わって、とにかくほっとしました。
踊っている途中に、審査員の目の前で、衣装のパーツがごそっと落ちてしまったら・・・、バテリア(打楽器隊)の前で転んでしまったら・・・とあらぬ心配をして、ドキドキしていました。
衣装のチェックは、家で何回もしました。
 
 私たちコルチ(王室)は、直接の審査項目にはなっていませんが、2,000人の隊列の中で一番注目されるバテリアの前、という重要なポジションです。
 しかも、ジョーベンにとって、初めての大舞台。2部リーグ初出場です。

 スタートの直前には、王室4名と私たちのコーディネーターとで、バテリアの脇で円陣を組み、お互いの手を握りながら、「神が私たちを守ってくれますように・・・」というカトリックのお決まりのお祈りを心を込めてしました。

 パレードコースに入ってからは、ダンサー4人の配置に注意しながら、お互いアイ・コンタクトをして、なるべく大きく動くように進んでいきました。
 バテリアの停滞位置に入ると、私たちの真正面は審査員がずっと見ている場所です。

 そこで信じられないことが起きました。ただ事が大きいわりには、誰もあわてることなく、気がついていないようなので、審査員もどうか気がつきませんように・・・と願いました。

 そんなアクシデントなど忘れてしまうほど、ジョーベンのパレードは素晴らしかったです。
 こんなジョーベンのパレードは、この15年、一度も見たことがありません。

 今はとにかく無事終わったことが嬉しいです。

〔写真はパレードコースに入ったばかりの打楽器隊。一番左が私、一番右がハイーニャ(サンバ・クィーン)〕

 2011年、サンパウロの我々のカーニバル、何とか乗り切ることができました。私たち夫婦にとって16年目のカーニバルです。
カーニバルにはハプニングがつきものなので、そんなに驚くことではないのですが、モシダージ・アレグレもサントスFC応援団のトルシーダ・ジョーベンもパレード中に大きなアクシデントが起きてしまいました。

 3,200人の参加者の最後尾がゴールに入ると、緑のゲートが閉まります。いつもなら、ゲートが閉まったと同時に、みんなで大喜びをするのですが、今年は誰も喜ぶことなく、シーンと静かです。アルモニア(統制係)の主だったメンバーが泣いています。成功の感激の涙ではなく、悔しさをかみしめるような静かな涙です。

 私が出た場所は、前の方なので、後列で何が起きているのかはわかりません。練習にいつも来ている知り合いに聞いたところ、モシダージでは、4台目の山車の車軸が壊れて、パレードコースに出ることができなかったようです。
 この車は3Dの効果を駆使したハイテク山車だっただけに、装置の重さに耐え切れなかったのでしょう。

 私が好きなダンサーが、4台目の車で踊ると聞いていたので、彼女が来るのをゴール地点で待ち構えていたのですが、確かに彼女の姿は見ませんでした。
 出発前にテクノの一団がバッチリの化粧をして、4台目の山車に乗っているところを見たのですが、彼らも来ていません。
 練習をよくしていた人たちが出場できなかったとは、残念でなりません。

 2003年以来、この8年間、毎年3位以内に入っていたこのチーム。そんなにいいことばかりは続きません。1999年、バイーアをテーマにした年も車が重過ぎて、壊れてしまい、7位になったということもありました。

 沖縄サンバカーニバルでも、山車は無事に移動できるよう、本当に気を使います。

 明日、結果発表ですが、山車が大きく響かないことを願うばかりです。

 ジョーベンについては、また後日書きたいと思います。こちらも、明日の結果に影響がないことを願うしかありません。

 多くのサンバチームでは、今年のカーニバル、最後の練習を迎えました。
 最後の練習は、毎年のことながら、いつも感動があるので、また後日、書きたいと思います。
 
 サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの衣装については、今年も最後のドタバタがありました。
 
 バテリア(打楽器隊)の前で踊るコルチ(王室)の衣装は、「大きくてはいけない」。こんなお達しが、カーニバル2週間前になって、突然、チームで出ました。でも、私の衣装は、チームのカルナバレスコ(舞台監督)が作ってくれたこのデザイン画の通り、かなり大きいです。

 そして何よりも、衣装はすでにもう出来上がってしまっていて、今さら直すことができません。
 ハイーニャ(サンバ・クィーン)と2人、顔を見合わせ「どうしようね」。

 衣装は小さい方が踊りやすいに決まっていますが、10月からもらっていたデザイン画に従わないわけにはいきません。

 デザイン画になるべく忠実に、と試行錯誤をしながら衣装を作っていた夫も「そんな今さら・・・」と言葉がありません。

 衣装を着用して色々な方向から写真を撮り、大きいけれど、決して大き過ぎはしない、ということを認めてもらい、何とかOKをもらいました。最後の最後まで、色々なことがあります。

 先週の土曜日は、サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの2回目の予行練習でした。
 前回の予行練習から4週間ぶりに行われたエンサイオ・テクニコ。仕上げの段階に来て、みんなの勢いはぐっと増しました。
 
 パレード出発前のチームの歌では、ジーンと感激がありました。毎年、毎年、同じことを繰り返しているのに、この感激は何なのでしょうね。だから、サンバは面白いのだと思います。

 毎年、私はエンサイオ・テクニコで、本番で使うシューズを試しています。本当は、カーニバル当日は、すべて新しい衣装で臨むものなのですが、合わないサンバシューズでパレードするほど辛いことはないので、秘かに私は新しいシューズを試しています。
 予行練習で踊ってみて、調整が必要なことがわかり、即、直しに入りました。

 今年、ジョーベンでバテリア(打楽器隊)の前で踊るコルチ(王室)は私を含めて4名。今年はサンパウロで有名なダンサーを他チームから招待したので、私は自ら名乗り出て、ミス・シンパチアになりました。

 2001年に初めてジョーベンのコルチに入れてもらい、今年で丸10年。途中、パシスタ(フリーダンサー)で出た年もありますが、10年もコルチにいる人は、かなり珍しいです。今でも私を使ってくれるチームに本当に感謝しています。

 4人のメンバーで打楽器隊の前の場所をバランスよく保ちながら踊るのは、なかなか難しいことです。
ゴール地点に入り、演奏が終わった途端、場所の交換の仕方について、4人で反省会をしました。

 ジョーベンは、2部リーグ、グルーポ・デ・アセッソの8チーム中、唯一、初めて2部リーグに出場するチームです。2部リーグから落ちないことが、最大の目標です。
 予行練習の感覚では、なかなかよかったのですが、どこのチームも頑張っています。

 あと13日でカーニバル。サンパウロのカーニバルは、沖縄サンバカーニバルのように、主催者ではないので、気持ちとしては楽なはずなのですが、それでも緊張感があります。

 リオのサンバチーム3チームのバハカン(作業場)の大火災。昨年2位だったグランジ・ヒオの作業場は全焼し、被害は3チームで最もひどく、1年がかりで作った3,000人分の衣装と7台の山車が燃えてしまいました。
 何とひどい惨事でしょう。日本の知り合いからは、私は大丈夫か、と案じてくれる人もいました。
 これほどの規模の被害はあまりありませんが、カーニバル前の惨事というのは、実はよくあることです。

 例えば、サンパウロのサンバチーム、ペルーシでも数年前、作業場で火災が起こり、山車が1台全焼してしまいました。それでも、このチームはいつも通りのパレードをやり遂げました。

 今年はサンパウロ市内では、例年に増して雨が多く、サントスFC応援団の我がサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンも1月23日、大雨に見舞われ、水が2メートルの高さにまで来て、4アーラ(グループ)の衣装や、これから使う素材が水浸しになりました。楽器は保管場所から流れ出て、練習場中に浮いていたというのですから、ひどい惨事です。

 同じスーパーリーグに所属するサンバチームが、ライバルチームであっても、材料を提供してくれました。
 もう一つ、我々が参加しているチーム、モシダージ・アレグレも作業場が洪水で、80センチ浸水しました。
 それでも、みんなカーニバルの準備を黙々と続けています。

 私たちの沖縄サンバカーニバルも那覇在住の心ないサンバ関係者により、大きな被害を受けています。火事や水害のように、目には見えませんが、妨害は現在も続いています。しかし、どんな被害があろうとも、カーニバルには、それを跳ね返す力があります。

 火災の被害にあったリオのチーム、ポルテーラのメンバーが言っていました。
「火事にあっても、ポルテーラは、それ以上の力をもっています」

 11年目に入る私たちオ・ペイシの「沖縄サンバカーニバル」も、どんな妨害にも負けない力を秘めています。

(写真は、リオのサンバチーム「イーリャ」の作業場の火災で全焼した山車)

 前回のブログの続きです。
 1回目の予行練習でサンバ会場をゴールした途端に、救急室を目指してパレードコースへ再び入って行ったポルタ・バンデイラ(旗持ちの女性)。一体、何が起きたのか。

 アルモニア(統制係)が歌手のマイクを手にサントスFC応援団のサンバチーム、ジョーベンの参加者みんなに語りかけました。
「ポルタ・バンデイラは、この会場に来る途中、車にひかれてしまいました。それでも足を引きずりながら最後まで踊り切りました。私たちの旗を決して、倒さなかった。これはすごいことです。皆さん、ポルタ・バンデイラの栄誉に拍手を!」

 今日はカーニバルの当日ではありません。1回目の予行練習です。
 それでも、車にひかれようとも最後までパレードをするのです。たまげた精神力です。

 この日の深夜、いつも通りのチームの練習がありました。当然、車にひかれたポルタ・バンデイラの姿はありませんでした。予行練習のあと、すぐ病院へ行き、このときもまだ病院で手当を受けていました。

 案の定、包帯ぐるぐる巻きになり、松葉杖で床に足をつけることはできませんでした。姉のハイーニャ(サンバ・クィーン)によると、「踊っているときは、血が熱くなって痛みを感じなかったけれど、踊り終わったら、激痛がきた」とのこと。

 何があっても踊りきる。この気持ちは、サンビスタ(サンバ人)なら必ず持っていなければいけないのだと思います。


ブラジルのカーニバルまで、あと1カ月となってしまいました。

沖縄サンバカーニバルでもそうですが、この時期になると、みんな精神状態が落ち着かないせいか、心配事が多くなり、予期せぬハプニングが起こります。
 
 サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンは先週が1回目のエンサイオ・テクニコ(実地練習)でした。
 そこでのハプニング。旗持ちの女性ダンサー、ポルタ・バンデイラがなかなかカーニバル会場に来ない、どうしたのだろう、と周囲が心配し始めました。 
 
 旗持ちの相手役の男性ダンサー、メストレ・サラも不安げに旗を持ち、1人待っています。とうとう、パレードの出発前の曲は始まってしまいました。

 もう、スタート直前、というとき、ポルタ・バンデイラは足を引きずりながら、集合場所に到着し、付き添いの人に抱きかかえられながら、パレードコース内に待機している救急に駆け込んで行きました。

 何が起こったのだろう、という緊迫感が走りました。でも、サンバはもう始まっています。予行練習といえども、本番通りのパレードです。みんな定位置につき、その場を離れることはできません。

このポルタ・バンデイラは、サンバ・クィーン、ハイーニャの妹です。バテリア(打楽器隊)の前で踊っているハイーニャは、練習といえども、妹について行くことができません。
 
 妹に何が起きたか、ハイーニャは心配で仕方なかったはずですが、横で踊っている私には、彼女はいつも通り、機敏にサンバをしているように見えます。大した精神力です。

 バテリアがパレードコースを抜け、ゴール地点で演奏をしていると、後続の参加者が次々に到着します。その中に足をひきづりながら救急室へ行ったポルタ・バンデイラが、満面の笑顔で、旗を持ち、くるくると回りながら踊っていました。

 ゴールに入った途端、彼女は再び、コース内の救急へと駆け込みました。

 一体、何が起きたのか? ざわめく参加者に答えるように、統制係(アルモニア)の男性がマイクを手に話しました。 (続く)

(写真は、どんなときも笑顔を絶やさないジョーベンのポルタ・バンデイラとメストレ・サラ)

 先日のサンパウロのサンバ・クィーン コンテストのスピーチの部は、例年にも増して、候補者はみんな、スピーチに力を入れて臨んでいました。
 文学的な才能があるプロが原稿を考えて、候補者がそれに動作をつけて、感情を込めて話をしていました。全てが完成度の高いショーになっているのです。

 モシダージ・アレグレから出て、セグンダ・プリンセーザ(第2王妃)に選ばれたラーナのスピーチも、何人ものブレインがいて出来た原稿だけあり、カーニバルの意義をよく表現していてよかったです。
 でも、私は、彼女が受賞の御礼に翌々日、モシダージのクアドラ(練習場)で話したスピーチに、より感動をしました。

その大意は、「応援してくれたチームの一人ひとりに感謝しています。私は、一生このチームで頑張ります。バイアーナ(婦人部)にも入るつもりです」

サンバをするということは、ただ踊ったり、楽器を演奏することだけではなく、何歳になっても一生チームに貢献をするということだと思うのです。
 
 3月のカーニバルに向けて、練習が白熱している中、しみじみとサンバチームとのつながりを感じています。