カーニバル前のハイ・シーズンになると、サンバチームとして出場するイベントがたくさんあります。
 
 招待を受けるとチームは、旗持ちのカップル、バテリア(打楽器隊)、歌手、ギター、コルチ(王室)を引き連れて、参加します。

 サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンのコルチのダンサーとして踊っている私も、打楽器隊のメンバーである夫も、イベントには必ず参加します。

 今年、とても行きにくいイベントがありました。

 それは、ここ数年、不義理をしているサンバチーム、プローバ・ジ・フォーゴ。2007年、2008年はほぼすべての練習へ通ったのですが、このところジョーベンと同じカテゴリーになり、ライバルチームとなってしまった以上、すっかり遠のいてしまったのです。


 かつては、地下鉄、電車、バスと乗り継ぎ、日本でいえば、東名高速のような大幹線道路の脇をテクテクと歩き、無人の歩道橋を渡り、よく通ったものなのですが・・・。


 ジョーベンが呼ばれたフェスタの主催者は、UESPというサンバのリーグだったのですが、フェスタの会場が、このプローバだったのです。

 不義理をしていて悪いな~という気持ちと何か気まずい気持ちで、複雑な感情だったのですが、会場に入り、プローバのハイーニャと挨拶をした瞬間から、それはだんだん、消えていきました。

 4年ぶりの再会でしたが、かつては一緒に踊った仲間。プローバのコルチの女の子も、半分は以前と同じメンバー。同窓会で友達に再会するような、懐かしい感覚がありました。

 ジョーベンのショーに、彼女たちを呼び、ジョーベンのバテリアの前で彼女たちと一緒に踊ったときは、どこのチームにいても関係はない。サンバが好きだという気持ちがあれば、チームを超えて、一人ひとりがつながっている、と強く感じました。

(写真はプローバのハイーニャ、リリアン)

 カーニバルの優勝パレードから1週間。
 すでに遠い昔のことのようにも思えますし、めまぐるしく起きたさまざまなことの最中に今もいるようにも思えます。

 今年、サンパウロで優勝した我がモシダージ・アレグレは、この1年、バテリア(打楽器隊)の前で踊る大人のハイーニャ(サンバ・クィーン)は、不在でした。

 リオの大きなチームのほとんどは、このポジションは有名な女優やモデルが務めていますが、サンパウロでは、チームのダンサーがついていることが多いです。

 モシダージ・アレグレの前ハイーニャは、オ・ペイシのサンバ講師でもあるナニでした。
 新ハイーニャは、写真のアリーニです。ダンスはもちろん、スルド(大太鼓)もタンボリンも叩き、過去には、コミサン・ジ・フレンチ(先頭隊)のソロ・ダンサーもやっていました。

 表情豊かで、人あたりもとってもいいハイーニャです。

 印象としては、彼女が急にハイーニャに抜擢されているように感じている人も多いかもしれませんが、実は全然そうではありません。

 この3年ほどの間、ハイーニャがいないときに、アリーニは、日曜日の練習で試験的にバテリアの前で踊ってみたり、エンサイオ・テクニコ(予行練習)で経験として、バテリアの前で踊ってみたりしていました。正式にハイーニャになる前から、随分、精神的にも経験としても準備がありました。

 ハイーニャは、カーニバル当日は、スポットライトを浴びますが、なかなか大変です。
 ナニ同様、新ハイーニャも応援しています!

 (写真の中央が、新ハイーニャのアリーニ。カーニバル本番の直後。このときは、モシダージが優勝とは、まだわかっていませんでした。)

 サンパウロのカーニバルの優勝パレードが昨日ありました。
 我がモシダージ・アレグレは、優勝チームなので、一番最後の出番です。
 
 結果発表の最中に、採点表の略奪事件があり、優勝の感激をなかなか味わうことができなかった今年のカーニバル。この優勝パレードにも、2位のチームが、我々モシダージに投げつける生卵を用意している、というような噂もあり、ちょっと不安もありました。

 でも、サンバが好きだという気持ちは、誰しも同じです。気持ちよく、優勝パレードをすることができました。
 
 写真と共に、少しずつカーニバルにまつわる話を書いていきたいと思います。

 私にとっての次のカーニバルは、沖縄サンバカーニバル。じっくり準備をしていきます。
 オ・ペイシが17年間、出場し続けている、サンパウロのサンバチーム、「モシダージ・アレグレ」が優勝しました!
 
 大混乱の結果発表。未発表の審査結果を破く人、山車を放火する人、トロフィーを盗む人・・・と逮捕者が3人も出る、というひどい状況でしたが、モシダージは優勝です!
 
 クアドラ(練習場)で正式な優勝の発表を待ち続けること6時間。

 なぜモシダージは、ここ数年、こんなに優勝できるのか。17年間、このチームの一員でいて、その理由が、私は体感できているように思います。

 モシダージ・アレグレは、本当に素晴らしいチームです。この糧を沖縄サンバカーニバル、日本のサンバに活かしていければ、本望です。

 そして、明日は、ジョーベンの発表です。さらにドキドキ。
 

 

 今日はリオでは、マンゲイラやチジューカのカーニバルの日ですが、私にとっては、我が愛するサンバチーム、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーヴェンのパレードでした。

 テーマは、サントス100周年。パレードの出発前には、サントス応援歌を歌い、ジーンときました。

 まずは、カーニバルが無事終わり、ほっとしました。
 このチームのパレードに出るようになって16年、コルチ(王室)を務めて11年。本当に色々なことがありました。

 今年のコルチは、写真のようにまた一新しました。

 明日は、モシダージ・アレグレの結果発表です。さあ、どうなるでしょう。ドキドキ。
 
 カーニバルまでいよいよ1週間となりました。
 この時期は、本当に忙しく、なかなかブログを書くタイミングがないまま、日々、色々なサンバイベントが目まぐるしくあります。
 
 今日は、ジョーベンとモシダージのカーニバル会場での予行練習が重なっており、夕方に1回、そしてまた衣装を替えに家へ帰り、夜もう1回。その後に、再度、ジョーベンの夜通し練習があり、早朝、帰って来たところです。

 このトリプル練習の日を以前から、恐れていたのですが、意外に、そつなくこなすことができ、まずは、満足です。

 来週の今日には、もうモシダージのカーニバルが終わっています。

 しかし、まだまだカーニバル直前まで、練習とイベントが続きます。

 もうひと頑張りです。あっ衣装制作もまだ終わっていないのです・・・

 私は、サンパウロのサンバチーム、モシダージ・アレグレのカーニバルに出場するようになって今年で17年になりますが、そのうちの4年以外、つまり13年は「エン・シーマ・ダ・オーラ」という小集団(アーラ)で出場しています。
 そのアーラが今年、40周年を迎え、先日、祝賀会のフェスタがありました。
 
 アーラとは、沖縄サンバカーニバルでいえば、OOSのように一つの小集団として、ユニットを組んで、カーニバルに出場します。
 OOSをご存知の人は、アーラの結束がどれだけ強く、カーニバルをひっぱっていく原動力となっていることが実感としてわかると思います。

 エンシーマ・ダ・オーラの40周年とは、すごい歴史です。沖縄サンバカーニバルは、まだ11年ですが、40回のカーニバルをし、40種類の衣装を作り、毎年毎年ある色々な問題を乗り越えて、アーラを運営しているのですから。
 特に、去年は、アーラの後継者である27歳の愛息子が、事故で全身やけどを負い亡くなるという、悲しい出来事がありました。
 
 それでもアーラは、途絶えることなく、続いてきたのです。
 カーニバルの歴史を支えているのは、こうしたアーラ一つずつだと、強く感じます。

 私は、このアーラでは相当の古株なので、ずいぶんみんなによくしてもらっています。家族や親戚を母体に始まったアーラで、おばあさんの代から孫の代まで3世代がいる中で、私も親戚の次に古いメンバーとして、入れてもらっています。
 我が家でいえば、親戚の集まりに、友達が入っているような感じです。

 もともとは、このアーラのパシスタ(フリーダンサー)だったので、この日の祝賀会でも、10数年前のカーニバルのDVDを見て、みんなで懐かしみました。

 モシダージ・アレグレの歴史が44年あるなかで、40年アーラを続けていること。その一部に、私も入れてもらえているとは、外国人ながら、大変ありがたいことです。
 何か恩返しをしたいところです。

 今年のカーニバルまで、日曜日の練習は、早くもあと2回のみです。


 沖縄サンバカーニバル→息子の受験→サントスFC 世界クラブ選手権応援→ポルトガル訪問 と11月末から、立て続けに色々なイベントがあり、ようやくモシダージ・アレグレの練習へ行くことができました。

 あまりに長い間、モシダージを離れていたので、「バテリア(打楽器隊)はもうクビかな~」と恐る恐るモシダージへ行った夫。私が、クアドラ(練習場)で、今年のカーニバルの衣装を見ている間に、夫は新しいバテリアのシャツを着て、楽器を持って、ステージに上がっていたので、笑ってしまいました。

 レッドカードは、どうやらまぬがれたようです。

 しかし、カーニバル1カ月前の現在、私も夫も、練習、練習、練習の日々。一晩に2箇所の練習へ行く日もあり、息子にあきれられている次第です。(笑)
 2012年、明けましておめでとうございます。
 サンパウロの年明けライブは、昨年優勝したサンバチーム、ヴァイヴァイの演奏と昨年のこのチームのテーマだったクラシック音楽の合同演奏でした。

 今日、1月1日は多くのサンバチームの練習日、日曜日ですが、私が所属しているモシダージ・アレグレは、今年初の練習があります。

 今年もサンバと共に始まる1年です。このブログを読んでくれた方にとっても、サンバで良い1年となりますよう!

 サントスFCの世界一は、残念ながら、今年は叶いませんでした。
 でも、また新たな1年に向けて、チームも私たち応援団も頑張ります。

 横浜スタジアムには、6万8千人の観客が来ていましたが、悲しいことに、圧倒的にバルセロナファンばかり。日本の人たちは、サントスの魅力を全然知らないのです。

 この点については、日本人であり、日本人の応援の姿勢を知っている私が、頑張らなければいけなかったのですが、本当に力不足でした。深く反省しなければなりません。

 横浜のサントスのゴール裏で、日本の観客の人たちに、サントスFC応援団、ジョーヴェンの応援に協力してもらえるように駆け回りましたが、急にやって何とかなるものではありません。時間をかけて、少なくとも1年がかりで、きちんと準備をしなければ、としみじみ感じました。

 サンパウロから来たジョーヴェンのみんなと、試合結果については、泣きました。
 
 けれど、ボロ負けしても、サントスの選手たちには、最後の最後まで、温かくサントスの応援歌を歌い続け、熱く感動しました。

 ジョーヴェンの1人ひとりの応援魂には、熱く温かいドラマがありました。またゆっくり書きたいと思います。