映画「何者」の感想※ネタバレ注意 | パンパンパンダのブログ

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※今回もこの記事を読む人のために書くわけではありません。自分の中に落とし込むために書くものなので度々分かりづらい部分があります。


友達と映画館に行って見てきました。
友達曰く「意味が分からなかった、全体的に」。
結局何を題材にした作品だったのか、と聞かれました。就活なのか舞台なのかバンドなのか、と。
強いていうなら、というか、この映画は「人間」を描いた、それだけだと感じました。

Twitterで自分の努力をアピールする人間を見下している主人公。それぞれが自分が主役だとばかりに見せびらかすことを恥だと思い、しかし、自分もTwitterでその考えを吐き続ける。自分は他人とは違うのだと。その考えを誰かに認めてほしい、冷めた視点の自分を認めてほしい。
主人公は就活が上手くいかない青年。その理由を「面接という限られた時間内で自分を理解出来るはずがない」と考えているように思う。面接をダウトに喩えるシーンがあった。面接は自分を良く見せて面接官を騙すものだと。主人公は面接、もしかしたら就活自体をゲームのようなものだと考えている。だから、その「ゲーム」に対し本気で挑もうとはしない。「内定」というものに対して不確定的なものだというシーンもあった。上手くいったと思った面接は落ち、ダメだと思った面接が通る。そんな経験が理由になっている。経験と書いたが主人公が経験したかどうかは描かれていなかった。おそらく、自分の経験ではないのだろう。そこにすら辿り着けなかった。
自分は運が悪いだけ。相手を騙すような手を使えないだけ。本気を出していないだけ。だってこれは「ゲーム」みたいなものだから。
しかし、他の登場人物のセリフ、例えば、「(出来が)10点でも20点でも見せなければ点数を付けてもらうことすらできない」であったり、「足が速いとか歌が上手いみたいな感じで、自分は「面接」が得意だっただけなんだ」であったり、そういう主人公からしてみれば「一歩引いて見てる自分だからこそ考えられると思っていたこと」が観察対象者であるべき他人の口から出てくることには相当驚いたと思う。
そして、主人公は自分自身も自分が主役の舞台に立っていただけなのだと気付く。そんな自分を認めてほしかった。それは拍手喝采をもらっているシーンから察することが出来る。その観客の中に友達がいた。そして、自分は決して観察者ではなかったのだと悟る。
観察者としての自分が使うTwitterのアカウント名は「何者」。観察対象者たちと同じですらない。自分は名前を名乗ってすらいない。誰よりも卑怯だった。


以上です!
自分はこのような内容の映画だと感じました。
途中のセリフは実際のセリフと異なるかもしれません。しっかりと覚えていなくて申し訳ないです。
主人公は決して他人を見下してなんかいなかったと思います。しかし、見下されることは強く嫌っていたように思います。人が虫を見下すことはない。しかし、虫に見下されたら不快に感じる。そういうイメージに近いのかな。けれど、それは他人から見れば見下していることと同じなんだと思います。

合同説明会のシーンはもっと人を使って欲しかったですね。実際の就活で見られる狂気じみた部分が感じられませんでした。
就活自体を思い出せて懐かしい気分になりました。Webテストも「そういえばそんなのあったなあ」と。
作品中では友達と協力して解いていました。「友達がいるか確かめる目的という都市伝説」というセリフから、ある程度の難易度の問題が結構な数あるのだろう思います。自分の知っているWebテストとは異なるものでした。自分の時は友達のWebテストを代わりに受けたりしていました。真似しちゃダメですよw

自分も主人公のように観察者気取りでいるのかもしれません。主人公にとってのTwitterが自分にとってのここなのかもしれません。