何かをするということのハードルの高さ | パンパンパンダのブログ

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閲覧してくださった方が思いの外多くて驚きました。不快に感じさせていなければいいなと少し不安です。今日もつらつらと思っていることを書いていきます。



うつになってから良く言われる言葉、
「とりあえず何かしてみたら?」。
出掛けてみるなり、人に会うなり、仕事を探すなり、、、恐らくそのような意味で言ってくるのだろう。
外に出るということは多くの人の目に触れるということだ。それがどれほどの不安をもたらすか想像できるだろうか。
周りの人は自分が思うほど自分の事など見ていない、そんなことは分かっている。
でも例えば、寝癖で外に出る、ダサい服装で外に出る、化粧をせずに外に出る、など人によってはセーフで人によってはアウトなラインが必ず存在すると思う。自分にとっては「自分が外に出る」ということが限りなくアウトに近いことなのだ。
物心ついたころには既にいじめられっ子だった私は、自分の価値というものについて考える時間が長かったように思う。それがうつになったことで更に価値は揺らぎ、自分は「恥ずかしいもの」になった。
だから外に出られない。人に会えない。
なんだこいつは、と思われ、自分の親が、またはここの大家さんが、必要のない悪いイメージを抱かれるのではないかと、そんなことを考えてしまう。
そういう考え方をするのは自分が普段他人に対してそう思っているからじゃないか、と考える方もいるかもしれない。しかし、そうではない。自分の周りの人間がそういう思考をしているのを間近で見てきたからだ。

出来ることから始める、それは分かっているつもりだ。
でも自分にとって出来ることをしていても、周りから見ると「何もしていない」になる。
病院に通っている、という盾がないと外出もままならない。荷物持ち、そんな盾でも構わない。
ただ、外に出たいと思うわけではない。何かしたいと思うわけではない。
こうした方がいいのだろう、そう思うことの中から出来ることを探しているだけ。

どんな状況になったって他人の期待に応えなければ、自分の存在は認められなくなる。
それが一番怖い。

ひどいうつの人と会ったことがある。正確に言うなら目の前で見たことがある、かもしれない。
色々なことをやめたのだろう、と思った。考えること、悩むこと、心配すること。
すごく羨ましく思えた。きっと彼は今とても幸せだろうと思えたから。
でも、私の家族の反応は違った。ずるい、逃げ、自分勝手、そんな悪い言葉ばかりだった。
違うよ、彼は周りにいる誰よりも正しいことを追い続けたんだよ。誰よりも諦めなかったんだよ。誰よりも責任を負い続けたんだよ、、、そう言いたかった。でもそれは自分のことをそう思って欲しいと言うのと大差ない。だから言えなかった。

私はあまり人に愚痴を言ったり相談したりしたことがない。理由は簡単だ。誰も論破してくれないから。みんな私の意見を間違ってるとは言えず、みんなが苦しむから。悪い思考が伝染するのだ。
そうすると言われる。望んでいない言葉を投げつけられる。逃げるのだ、その思考から。そのために私だけ突き飛ばされる。一度引き上げようと伸ばしてくれたその手を振り払われる。そしてまた底へ。
家族はそうやって私を救うことを諦めた。離れたところから頑張れと声を掛けてくるだけになった。
誰かを助けるためなら自分が傷ついても構わない。そうやって生きた人の最後は汚れきってズタボロで孤独になる。誰も彼の闇に踏み込めない。何人もの闇を背負った彼の闇を背負う覚悟のある人なんていない。
それが自分だとは言わない。ただ、こういうのは良くある話だと思う。

私を見て悔しがった友達がいた。
お前のおかげで今の自分があるのに、と。
お前はほんとはすごいやつなのに、と。
嬉しかった。認めてくれる人が確かにいた。
だからまだ頑張れる。
それが周りから見たらなんでもないことでも、頑張れる。まだ諦めるには早い。