なんでうつ病になったのか、それは今でもはっきりとは分からない。
高卒ばかりの会社に大卒で入ったことへのプレッシャーだったのか、頑張ることは当然で仕事が出来るのも当然で、ただそれでも自分なりにこなせているつもりだった。将来の自分への期待はあっても新入社員の自分への期待はそれほどでもないだろうという認識もあった。
それでも自分に出来ることを、自分にしか出来ないことを、と常に考え続けていた。
誰かは言った、うつは甘えだと。
私は甘えていたんだろうか。私は甘えているんだろうか。自分に出来ることを考えた。求められている役目を考えた。別人とも言っていいくらい自分を変えていた記憶がある。ただそれは苦痛じゃなく楽しかった。前に進むことを考えてすらいない人たちばかりがそこにはいた。だから自分が変えてやるんだ、と息巻いていた。甘えってなんだっけ。
誰かは言った、うつは臆病なのだと。
失敗を恐れて行動を遅らせた結果損害を出すこともあるのに、なんて言われてもそんなことは百も承知だ。何も考えずに行動して、失敗してもそういうこともあるさと何も反省しない人たちを目の前にしているから自分は考えるんだ。自分の失敗は外的要因、他人の失敗は内的要因に帰着するのが人間という生き物らしい。他人の失敗も自分の失敗も背負ってしまうのが私。臆病ってなんだっけ。
家族は言う、早く治そうねと。
今の自分が病気というのは間違いないのかもしれない。だけど、これも自分だ、間違いなく。
でもそれを家族は認めない、友達も認めない。じゃあ今の自分は誰なんだろう。
自殺志願者と思われることが多いが、多分少し違うんだ。罪滅ぼし、そんな感じ。
生きていてはいけない、そう言われた気がするから死ぬしかない、そう思ってしまう。
私は2人の人間を救えたはずなのに救えなかった。それは命を奪うのと変わらないと私は思っている。その2人のために生きる、という考え方は傲慢だと思う。きっとそんなことは願っていないのだから。死者に魂など存在しないのだから。
そういえば、うつ病の人は物事の本質を捉えることに長けているらしい。例えば一円玉の大きさ、例えばくじ引きの運、例えば重さ、自分の中のイメージで本来の物よりも小さく見えたり大きく見えたり重く感じたり軽く感じたりする。別の誰かがくじを引くより自分の方が当たりやすい、と考えたり、そういうことをしないらしい。現実的とも言うのだろうか。
この世に完璧に正しいことは存在しないと聞いてから誰の意見も笑って流すことは出来なくなった。それでも他人は私の意見を容易く否定する。
大人になるということは諦めることを覚えるということだ、私はそう考えている。でも諦められない。誰のことも。そうやって生きていくんだ。
今の私は私なんだ、間違いなく。
肯定しなくてもいい、否定しないでくれれば。