昨夜は出張のため、夜は出張先の寿司屋、兼ラーメン屋で軽く飲んだ。その店は、寿司と共にラーメンも出す、という極めて怪しい店なのだが、そこのラーメンはほんのり甘さを感じさせる濃厚な鶏がらスープで、私は大好きで、彼の地に出張がある時はたまにその店に行く。

 毎回スペシャルセットという、寿司五貫とラーメン、というセットを頼む。寿司はまぁフツーにうまくて(めちゃくちゃウマイというわけでもないが)、コッテリとしたラーメンに、酢の効いた寿司が、アッサリとしてめちゃくちゃ合う、というのを知ったのもこの店だった。というか、この組み合わせはこの店以外ではなかなか無いだろう。


 寿司とラーメン、というと、日本人の好物を単純に商品として並べただけやんけ、と当初は思っていた。が、戦前の昭和9年に寿司屋としてスタートした店だったらしいが、戦後の食糧難の時代に、米が手に入らず、やむを得ず、比較的手に入りやすかった小麦でラーメンも作って出し始めた、というのがことの経緯らしい。そう聞くと、何だか軽薄に見えた、寿司とラーメン、という並びも歴史の重みを感じさせる。


 …というエピソードを、一昨年のクリスマスイブ、出張の際に立ち寄った私に店の親父が話してくれた。それまで親父と話をしたことはなかったが、その日は、私に続いて入ってきた日本語の話せないフィリピン人の客に親父が困っていたところを、私がちょっとだけ通訳をしたことをキッカケに親父と話をしたのだ。

 定休日は何曜日ですか、なんて話をすると、前は休みなしだったけど、ガンになっちゃったから病院行ったりもするし、体調も色々だから不定期で休んでるんですよ、と帽子をとって毛の抜けた頭を見せながら素敵な笑顔で親父は話していた。全く病気を感じさせない笑顔だった。ちょうどその頃、義母も癌を乗り越えたところだった。うちの母も大丈夫だったし、大丈夫っすよ!と言いながらも我ながら何の重みもねー言葉だなー、と思っていた。


 あれから約一年半。前回店に行った時は店の中には昭和20年代に撮影したという、店の前に立つ、小学生くらいの親父の写真が飾ってあるのを見た。だから、元気そうに見えたが、たぶん親父は80代かそれに近い年齢だろう。病気は大丈夫だろうか、店やってるかな、閉店してないかな、となんだかドキドキしながら店に向かった。


 角を曲がって暖簾が見えた時はホッとした。当然、一年半ぶりに来た私のことなど覚えていない様子だったが、親父は相変わらずステキな笑顔で元気に寿司を握り、ラーメンを作っていた。濃厚で少し甘いラーメンと寿司の相性も相変わらずサイコーだった。私はスペシャルセットとビール2本、追加で鉄火巻きを食った。やはりとても美味い。その後のガンの進行はわからないが、カウンター越しに親父が元気そうに働いている姿を見たら、何ともホッとして、温かい気持ちになった。またいつになるかわからないが、寿司とラーメンを食いにいきたいなと思った。今回は親父と話す機会は無かった。


 さて、今朝。何となく仕事したくねーなーというローテンションのまま、ぶっ放しましたー。まぁ今回は目標掲げてたわけでもないし、良いですよねwま、これくらいの頻度がちょうどいいかもね。