ハルキストって人たちいますよね。村上春樹ファンってことらしいけど、わざわざハルキストなんて単語ができているあたり、なんつーか特別感ありげな雰囲気ですが。そのハルキストの人々って、村上春樹の作品を読んで、いったい何を感じているのだろうか。いままで、周囲にハルキスト、あるいはそれを自称する人物がいなかったから聞いたことはないが、彼らにインタビューしてみたいものだ。村上春樹の作品の魅力はなんですか、と。そしてそれぞれの作品の主題はなんでしょう、と。
私は決して群を抜いた読書家というわけではないが、おそらく平均よりはちょっと本を読む人間だと思う。といっても、修行的にゴリゴリと読書するというよりは、あくまで娯楽、あるいは通勤時間の気晴らしという程度であるが。そんな日々の流し読みの中、何度か村上春樹氏の小説は読んだことがある。すべては思い出せないが、「ノルウェイの森」「ねじ巻き鳥クロニクル」などなど。ノーベル賞にノミネートされたり、これだけ世間に騒がれているのだから、何かきっと魅力があるんでしょう、と思い、それに触れたく。…がさっぱりわからない。全体的なシュール感、オシャレ感、不思議な舞台設定、そして常人には理解不能ないきなり始まるエロシーン。そのちょっと異世界な、そしてちょっと浮世離れした雰囲気だけは、なんとなく感じ取れる。…しかし、全く何を伝えたいのかわからない。それとも伝える気もないのか?小説を何かを伝えるための媒体ととらえている私が陳腐な読者すぎるのだろうか…。いずれにせよ、村上春樹はよく分からなすぎる。
というわけで、彼の小説は「私にはよく分からない」という結論になったのだが、久々にいま、彼の作品をよんでいる。それは小説ではなく、エッセイだ。「走ることについて語るときに僕の語ること」という、ランニングについての村上春樹のエッセイである。小説を理解することはあきらめたものの、エッセイは、架空のストーリーや人物を通しての何かの表現ではなく、あくまで筆者本人の思いや、考えをダイレクトにつづったものである。彼の思考、というものが垣間見れるのではないか、と思って手に取って読み始めた。
…が、わからない。
ランニングの執筆活動へ与える影響、などなどを書いているようでいて、どうも凡人の私にはつながっているようでいて、そのつながりが見えない。わからない。…いったい彼の頭の中はどうなっているのだろうか…。そしてハルキストたちは、何を彼の魅力として感じ、彼らのどこに「快」をもたらしているのだろうか…。わからん。しかし、マスコミによって作られた虚像である可能性もある気もしているが、彼自身、あるいは彼の作品の纏うそのカリスマ性が気になってしまうのも事実である。これこそが彼の魅力のだろうか。…くやしいが、面白みを感じないながらも、なんとなく村上春樹にたいする興味はつきないのである。自分なりにもう少々彼の作品、ならびに評論を読んでみたいと思っている。
先日、沢木耕太郎の「春に散る」という小説を読んだ。沢木耕太郎は私の大好きな作家のひとりである。「一瞬の夏」「凍」などは、他の追随を許さないノンフィクションである。そんな彼の書いたフィクション、「春に散る」。…期待にたがわぬ、読後感であった。なんとも言えない悲哀と爽快感。…そして、やっぱりな、と安心する面もあった。
この小説は、佐藤浩一、横浜流星、橋本環奈らをキャストとして映画化されている。私は小説に先行して、映画をみて、だいぶがっかりしていたのだ。映画では、横浜流星演じる若いボクサーを中心に、彼の成長する姿と、それを支える元ボクサーのトレーナーの佐藤浩市、という構図でストーリーが描かれていた。サブとして橋本環奈との恋愛もあり。私はその安いスポ根青春漫画のような安直なストーリーにだいぶがっかりしてしまった。沢木耕太郎がこんなつまんねーストーリー書くのかよ、と。
しかし、原作は違った。元ボクサー達の、現役後の不器用な生きざま。それらを中心に話は展開してゆき、結局のところボクシングから離れられない元ボクサー達が、若いボクサーを通じて、「元ボクサー」としての生き方を取り戻してゆく様が描かれていた。映画ではメインに据えられていた横浜流星演じる若いボクサーは後半まで登場すらしなかった。なんとも悲哀を感じられる、沢木耕太郎らしい、すばらしい人間ドラマだった。やっぱり、原作と映像化されたものって違うんだなー、と改めて思い知りました。そして沢木耕太郎ってすごい作家だなあ、と再確認したのでした。
いやー禁欲84日目!酔った勢いで、全く禁欲とは関係ないこと書いちゃったw