もう23年も前か。
日本時間9月12日の未明。何となく寝れなくなってラジオをつけた。その時間帯はオールナイトニッポンがやってる筈だ。…いつもと違うトーン。いつもならタレントや芸人がテンション高く話している。しかしその日は、アナウンサーなのか、男性がカチッとした緊張感のある口調で話している。…こんなことが現実に起こる時代になったんですね…その一言は何故かくっきりと覚えている。何かよくわからないが、大変なことがどこかで起きたらしい。布団の上でラジオを聞いていたが、いつのまにか寝てしまった。
翌朝、テレビをつけると、ヒコーキがビルに突っ込んでゆくというショッキングなシーンが繰り返し流れていた。もちろん驚いてはいたが、それらの映像を見ながら、いつも通り呑気に朝メシを食った。
まだ大学の夏休みだったあの時期、部活のために学校へ行き、昼飯時に友人たちと近くの定食屋に行った。いつもはBGMが流れている店ではラジオが流れており、繰り返しテロについて報道されていた。私たちはそれらを聴きつつも、いつも通りくだらない話をして、どんぶり飯をかきこんだ。
…私にとって9.11事件はこんないつもと変わらない日常の中の記憶の一欠片であり、あくまで対岸の火事で、海の向こうで起こったひとつの大事件、であった。
その約10数年後。ニューヨークへ行った。単純に遊びに、である。安宿に泊まり(ドミトリーでも一泊100ドル位した。マンハッタン恐るべし!)、特に予定を決めることなく、タイソンがかつて練習したというボクシングジムで汗を流したり、美術館、博物館などベタな観光地に行ったり。夜はジャズバーやストリップに行って飲んだりして、約10日間、ダラダラと過ごしただけだが良い休暇だった。ちなみに、ストリップは、日本のそれとは違って卑猥感なく、オシャレな感じで楽しかった。また行きてーなーNY。…でも一人旅は家族持ちの状態ではなかなか行けんし、円安の昨今きついなー。あの頃は確か1ドル90円位だったもんな…。
さて、その中で訪れた場所の一つが、グラウンドゼロだった。何となしに、とりあえず有名観光スポットのひとつとして訪れたのだった。そこは9.11テロが起きたツインタワーの跡地に、タワーの建っていた敷地をそのまま形どってモニュメントが作られており、それには犠牲者の名前がひとつひとつ刻まれていた。
その刻まれた、見知らぬ一人ひとりの、具体的な名前をみていると、何だか浮かれた旅行気分も吹っ飛び、否が応にもシリアスな気分にさせられた。あの事件は、ひとつの事件では無かった。犠牲者の数、2,800人分の、2,800件もの悲劇がかさなっていたのだなと、遅ればせながらリアリティを持って突きつけられた気がした。対岸の火事であったことは変わらない。でもほんの少しだけ、あの9.11テロが私の中で現実味を帯びた。
世間で起きている事件、事故、災害というもののは、自分に関係ない限り、すべからく対岸の火事であり、実態はどうあれどれもが「何処かで起きた、ひとつ」の事案として感じてしまう。世の中には私が知らない、あるいは知ろうとしていない悲劇がゴマンと存在している。
だが、ほんのちょっと、ほんの少しだけ、リアリティを持って感じた9.11テロ。テレビでもすっかりそのことに触れられなくなったが、今年もささやかながら犠牲者の方々のご冥福をお祈りしたい。合掌。