…みたいなタイトルで、オナ禁によるミラクルを大袈裟に書いて、バキバキ童貞たちを喜ばせる様なネタを投下したいところだが、そんなことは何ひとつ起きておりませんw サーセンwww

 修行を始める前、そしてこの記録を始めた当初は、オナ禁を通じたオモシロ事件やミラクルを刺激的なタイトルと共に綴れるかなぁなんて期待もしてたけど、やっぱ現実ってのはリアルですねw


 もうすぐ私のオナ禁修行も100日を迎え、とりあえず、のゴールを迎える。じゃあ、この修行を通じて何があったのか、何を得たのか、あるいは何もなかったのか、何も得るものはなかったのか。それらをどこかで自分なりに総括しなければいけないと思っている。それはこのブログという媒体を運営しているから、ということではなく、そこにどう自分が意義づけるか、でこの100日間の意味も変わってくるからだ。


 物理的に何かを得ること、例えば財産、金、人間関係(モテた、なども含む)を得た、などが最もわかりやすい成果かと思うが、ここまでの93日間を振り返るとそんなことはないわけで。そうなってくると、私がどの様にこの100日間にどう感じたか、どう定義づけたか、の主観しか結局は意味をなしてこない。


 たまたまだが、いま、私は「般若心経」をやさしく噛み砕いた本を読んでいるのだが、般若心経の有名な一節、「色即是空、空即是色」ってのは結局そんな意味もあるのかな、なんてことも考えた。つまり、何にしても答えなんてものはなく、答えは自分で出しているものだ、ということ。言い換えると、全てはどう感じるか、であり、自分次第だろ、と。逆にいえば、そこに何かを能動的に感じなければ何もない、ということではないか。そう考えると、私の敬愛する長渕剛氏がかつて歌の中で、「幸せとは"なる"ものではなく、"感じる"ものだ」と唄っていたが、それも同じことなのかなぁ、なんてことも思った。(あ、今日は長渕剛の68回目の誕生日だ!つよし〜おめでとう!)


 何にせよ、ここまでの93日の禁欲で、目に見えた、ネット界隈で都市伝説の様に語られるわかりやすい禁欲効果、物理的に何かを得た、みたいなことは一才ない。しかし、私は確実に得たものはあるし、私の中で変化が生じた、と感じられたものはある。そして、それらをちゃんと形として認識することで、今後も引き続き人生を続けてゆきたい。オナ禁ラストチャプター、この100日とはなんだったのか、それをあとちょっと、ほんの少し真面目に深掘りしたいものであります!