ふと思うのだけど、スマホってのは便利だけど、いろんなことをつまらなくしましたよねえ。私が中学の頃なんて、先輩からエロ本やAVを借りてきて、それをこっそり家で見るってのが最高のエロだった。いまやスマホひとつで何でもアリである。
かつて中学時代、エロ本はもちろんのこと、AVなんてなかなか見るチャンスなんて無かった。襖で仕切られた様な極めてプライバシー性の低い古くて狭い家に住んでいた私としては、AVを見る機会ってのはとんでもなくレアで、そんなチャンスは極めて貴重なものだった。たぶん当時AVを見る興奮は、いまセックスするより強いコーフンであったと思う。性的な物へ辿り着くまでのハードルが高かったからこそ、手に入れられた時の感動もあったし、希少性もあった。そりゃ春画の時代から比べればそれでも生ぬるいもんかもしれんがwwいまやスマホひとつで、誰でも、どこでも、どんな世代でも何でもかんでも見れちゃうからね。モザイクの向こう側を補完する想像力も要らない訳で…。
最近思うのだが、大袈裟に言えば、性的情報がカジュアル化するに従って性的な事への神秘性、ひいては女性との性行為への神秘性が低下しているのではないか。出生率が下がってる理由もそこにある気もする。更にいえば、性的な事の根源である、女性へのリスペクトさえも低下させているのではないか。
私は今、禁欲修行中の身だが、修行に入る前は、この性情報氾濫の時代に対抗するのと同時に、我がイメージ力を鍛えるために、原点に戻ってしばしばイメージしながらのオナニーをしていたものだ。想像オナニーは最も原始的方法のオナニーだろう。私はそれを個人的に◯◯ニーと呼んでいた。◯◯には、かつてフラれた女の名前が入る(良くある女の子の2文字の名前ですw)。フラれたものの、◯◯には何度もお世話になったぜ…ゲスでごめんねwww
オナ禁修行65日目。立ち飲み屋でメガジョッキ飲みながら書いてみた。昼飲みサイコーだぜw!!