昔聞いてた音楽聞くと、それを良く聞いてた当時の空気感とか、当時の感情とか、まるでその時に戻ったかのようにリアルに思い出すことってないっすか?

 

 今日は、祖父母の家に泊まってたセガレどもを迎えに、車を運転しながら、めちゃくちゃ久々に、Amazon Musicで「大塚愛」を聴いた。大塚愛を聴きながら、前方に浮かぶ入道雲を眺めて高速道路を走らせていると、なんだか物凄く懐かしく、20年前の夏の記憶が、実に生々しくフラッシュバックしてきたのだった。

 

 おそらく、私の同世代くらいの昭和末期生まれの当時の童貞たちは、きっとみんな大塚愛が大好きだったことだろう。私もそうだった。「いつか巨乳の大塚愛みたいな彼女が欲しいなぁ…」ととんでもなく良いトコ取りの、我儘な童貞ならではの妄想をしていたものである。今思うと、童貞どもを躍らすために彼女が代表作「さくらんぼ」をリリースしたのは、なんともニクイなぁと思う次第である。


 20年前、ほかの童貞たちにもれず、大塚愛を好きだった私は、それとは関係ないが、何をトチ狂ったのか、真夏の炎天下の中、前にカゴがついたギアなしの真正ママチャリに、リュックサックひとつをのせて、当時住んでいた東京から鹿児島へ向かうという荒行に乗り出した。…約2週間のその旅は、修行と呼ぶにふさわしい、なかなかに壮絶な旅路だった。朝から晩までママチャリをひたすらに漕ぎ、野宿を重ねる。楽しみといえば、死ぬような思いで上り切った峠から、一気に下るときで、その時は決まって大塚愛の“Happy Days”のサビを叫ぶように歌ったものだ。…大塚愛を聴きながら、真夏の空に浮かぶ入道雲を見ていたら、20年前に飽きるほど見たその雲を思い出したし、あの時のうだるような暑さ、何日も汗をかいたまま風呂に入らない自分の臭さ、なんでこんなことやってんだろう、、、という渦中での悔恨の思いなどなど…リアルに思い出されてきたのだった。

 

 後になってみれば、あの旅はその後の私の人生に大きな影響を与えてくれたかけがえのない思い出だ。チャリを漕いでいるときはつらいだけだったが、旅の間に多くの人に出会った。メシや酒をご馳走になったり、見ず知らずの私を家に泊めてくれたり…遠方の地で身一つで疲れ切り、不安で、心もとない私を見知らぬ人々が何度も手を差し伸べ、癒してくれたのだった。なんとも人の優しさが身に染みた旅であり、私もそんな人間になりたいな、と心底感じることができたのだった。若き日のかけがえのない思い出だ。

 

 そんなノスタルジックな気分になった、44日目、オナ禁修行者である!