死ぬ時に人が悔やむのは、

やっちまった後悔よりも、やらなかった後悔

だと言う。


 一昨日の夜、ここ数週間悩まされてきた咳が激しくなってきて、あげく咳をする度に肺が痛くなって来た。クソネガティブでチキン野郎の私は、こりゃヤベー病気なんじゃないかと思い、ぎゃーぎゃー騒がしい倅どもを両脇に寝かしつけつつ、眠れなくなった。暗闇のなか、今思えば大袈裟だが、もうすぐ終わるかも知れん自分の人生を、ぼんやりと振り返った。


 毎日毎日、とるに足らん仕事に時間を垂れ流して消耗し、酒飲んで愚痴って寝る。それが私の日常だ。

 つまんねー毎日だ。下らん日常だ。低空飛行の人生だ。…日々そう思って生きている。


 しかし、今までの人生をちょっとゆっくり、そしてちょっとシリアスに振り返ってみたら。


"イヤ、そんなに悪い人生じゃなかったんじゃねーか。

後悔はあまりない。

まぁこれで死んじまったら、それはそれでそこそこ納得できるんじゃないか。"


 自分でもかなり意外であったのだが、ポジティブなんだかネガティブなんだか、自分の今までの人生を肯定できたのだ。これは我がことながら本当にビックリであり、何故だか不安も消えてワクワクしてきた。それはいまも続いている。


 大した結果は残せなかったが、子供の頃から憧れたプロのリングに格闘家として挑めた。そして目を怪我してドクターストップされるまでしがみついた。

 15年来モーレツな熱量で片思いしてた女性に告白した。なーに言ってんの、と笑顔でケツを叩かれて、あえなくフラれた。

 そしていま、両脇には二人の子供が寝息をスースー立てて眠っている。

 

 自分の人生で大事にして来たこと、譲りたくなかったものにはちゃんと挑戦してきた。結果という自分だけではコントロールできないものはついてこなかったが、コントロールできる、挑む、ということからは逃げなかった。いずれも結果を得れなかったという観点では「やっちまった」の類だが、それでも「やらなかった」後悔にはなっていない。ちゃんと成仏できている。


 そのことに気づけた時、ふと心が軽くなった。自分の人生を肯定出来ている、ということは思いもしなかったことであり、自分のことながら目からウロコの気分だった。

 結果はもはや関係ない。自分が大事にしたいことを大事にすればいい。今はたまたまそれが見つかってないだけだ。何も怖いものはない。


ん?この万能感

オナ禁界隈でウワサされる、

スーパーサイヤ人効果!!??

え、まじwww??


禁欲22日目。スーパーサイヤ人、覚醒。

点滴なう@病院。