令和6年6月6日から私は射精することを100日禁止することにした。いわゆる、オナ禁100日修行である。
令和6年の6/6開始、ということで6/5をゼロ日目とカウントすると、今日は-(マイナス)3日目である。開始日が6-6-6のゾロ目であることは特に意味はなく偶然なのであるが、その日を開始日と設定するのは、まぁ後述するが、一応の理由がある。
暇があれば愚息にかまってしまったり、無意識に股間に手が入ってしまう私としてはオナ禁100日修行というのはとてつもない苦行であり、また荒業である。
しかし、それでも何故挑むかというと、過去において、数日、あるいは数週間に渡って様々な理由で射精をしなかった際に、具体的ではないにせよ、精神の安定などなどポジティブな結果をなんとなく体感したからである。また西洋医学的には禁欲は意味はない、むしろ害があるとされる一方、東洋医学的には精子は【氣】の根源であり、放出することで、様々なエネルギーを失う、という説もある。古くは貝原益軒も「養生訓」にて同様の説を説いている。
私は今回100日の禁欲、オナ禁をすることによって、自分自身が薄々感じていて、どこかで信仰している「オナ禁最強説」を自分の中で納得させたいし、実証したい。巷には嘘か本当かわからない、オナ禁体験談も溢れているが、自分で体験することでそれらの虚実を詳らかにしたい。もちろんそれは、私ひとり、というひとつの一例にしかならないのだが、私自身が納得して、私自身に証明するにはそれで充分である。そしてそれが目的である。
挫折する可能性も大いにある。いや、その可能性が高いだろう。そして多くの誘惑や妄想と悶々と闘い、悶えることもあるだろう。きっとアホな中学生レベルの愚かな行動に走ることもあるだろう。
これはひとりの人間が、己の愚息との付き合い方に思い悩み、自分の弱さと向き合う、人間ドキュメンタリーである。
なお、開始前なので本日もシコる分には問題ないのであったが、諸々の事情で図らずも今日はシコらず。明日はやるぜ。悔いなく!