東芝のレコード事業変遷(第1回~東芝初の製造・販売レコードは?!) | ザ・ビートルズ完全日本盤レコード・ガイド

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これまで東芝が発売したレコードのレーベルやカンパニー・スリーヴ、販促物等について調査してきましたが、最近、改めて東芝のレコード事業について、特に会社名の変遷に伴うレコード・ジャケットの会社名表記や広告等に使用されるカンパニー・ロゴ表記等の変遷に関して調査しました。今回は東芝のレコード事業実施に関する部署、会社設立に関する遍歴と、それに伴うレコード・ジャケットに印刷された会社名表記の変遷について報告します。なお、東芝の歴史につきましては東芝社史「東芝100年史」を参考にし、レコードの発売日に関しましては、拙ブログの読者の方が作成された「国内盤レコード・データベース」を大いに参考にさせていただきました。ビートルズとは直接には関係ありませんが、お付き合いください(笑)。

 

■東京芝浦電気株式会社 グラモフォーン建設部(54年4月20日~55年5月31日)

東京芝浦電気株式会社は、前身の株式会社芝浦製作所と東京電気株式会社が合併し、1939年に設立されました。レコード事業に関しては、53年12月11日にイギリスEMI社管下のグラモフォン社及びフランスのパテ・マルコニ社とレコード原盤供給契約を締結し、54年4月20日にグラモフォーン建設部を設置したところから始まります。54年12月1日には、埼玉県にあった東芝の川口工場にレコード課を設置し、レコードの生産体制を整えていきました。なお、部署名はグラモフォンではなく、グラモフォーンと表記していたようです。

 

■東京芝浦電気株式会社 グラモフォーン部(55年6月1日~56年4月30日)

東芝は55年6月1日にグラモフォーン建設部をグラモフォーン部に改称し、いよいよレコードの製造・販売を開始します。まず、9月10日に記念すべき初の東芝製造レコード「エンジェル・レコード」を発売しました。東芝初のレコードは78回転のSP盤で、タイトルは東芝初のレコードとして東芝音工の創立10周年記念LP(TO‐10‐1~2)の解説書等、各種資料で紹介されているコラ・ヴォーケールの「モンマルトルの丘/モンマルトルに帰りて」(PH-5003)になります。しかし、PH-5003よりも若い番号のSP盤、ルネ・ルパの「パリのお嬢さん/この世にかけても」(PH-5002)も存在しますので、東芝初のSPが同時に複数枚発売された可能性はあります。

<SP「モンマルトルの丘/モンマルトルに帰りて」(PH-5003)>

<SP「パリのお嬢さん/この世にかけても」(PH-5002)>

LP・EP・シングル盤の発売はSP発売から遅れること10日の9月20日に発売されました。これらの記念すべき初回発売レコードとしては、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー交響楽団演奏のLP、ベートーヴェン作曲交響曲第5番「運命」(HC-1001)が各種資料で紹介されていて有名ですが、その他LP・EP・シングル4枚の計5枚の同時発売が確認できています。以下に東芝の初レコードのジャケット・レーベル写真と一覧表を掲載します。

<LP「交響曲第5番 運命」(HC-1001)>

<EP「朝の歌/ラ・セレナータ/ジョスランの子守唄/セレナーデ」(HT-1001)>

<シングル「詩人の魂/ポルトガルの四月」(HM-5001)>

<シングル「枯葉/漕役刑囚の唄」(OM-5001)>

<東芝初のSP・LP・EP・シングル>

余談ですが、フルトヴェングラー指揮のLP「運命」は何度も再発され、2001年には「永遠のフルトヴェングラー大全集」の特典盤として製造されました。このLPに添付されているシートには、間違って、「1950年9月にエンジェル・レコードとして初めて発売」と書かれています(笑)。

<LP「交響曲第5番 運命」(BLC-1013)>

東芝最初期のLPには、ジャケット裏下部に会社名が表記されていますが、「GRAMOPHONE DEPARTMENT, TOSHIBA SHIBAURA ELECTRIC Ltd.」と印刷されています。会社名だけではなく部署名であるグラモフォーン部(GRAMOPHONE DEPARTMENT)も併記されています。

<グラモフォーン部時代のジャケット表示会社名>

 

■東京芝浦電気株式会社 エンジェル・レコード部(56年5月1日~57年5月31日)

東芝初のLP発売から約8カ月後の56年5月1日に、レコード担当部署の名称をエンジェル・レコード部に変更します。販売していたレコードのレーベルがエンジェル・レコードのみでしたので、発売するレコードに相応しい名称に変更したのかもしれません。

レコード事業担当部署名変更に伴い、レコード・ジャケットの会社名表示も「ANGEL RECORD DEPARTMENT, TOKYO SHIBAURA ELECTRIC CO., LTD.」に変更となりました。

<エンジェル・レコード部時代のジャケット表示会社名>

ちなみに、ジローとモンタンの東芝初シングルは、エンジェル・レコード部のころには写真ジャケットに変更されています。

<エンジェル・レコード部時代のシングル・ジャケット(左:ジロー、右:モンタン)>

 

■東京芝浦電気株式会社 レコード部(57年6月1日~58年5月31日)

56年12月1日にアメリカのキャピトルレコード社と原盤供給契約を締結して、エンジェル・レコード以外のキャピトルレコードを発売することとなり、レコード事業担当部署名もエンジェル・レコード部では都合が悪くなったためか、57年6月1日に単にレコード部と改称しました。

この変更を契機にジャケットに部署名を表記することはやめ、会社名の英語表記「TOKYO SHIBAURA ELECTRIC CO., LTD.」のみの表記に変更したようです。なお、会社名の左にはレーベル・ロゴとレーベル名「ANGEL RECORD」、「CAPITOL RECORD」が印刷されています。

<レコード部時代のジャケット表示会社名>

ちなみに、ジローとモンタンの東芝初シングルは、レコード部の時期にはフランスのディスク大賞(grand prix du disque académie charles cros)受賞のシールが貼られています。また、ジローのシングルには、受賞の帯が付けられたものがあります。極初期の東芝帯付レコードになるのでしょうか。

<レコード部時代のシングル・ジャケット(左:ジロー、右:モンタン)>

 

■東京芝浦電気株式会社 レコード事業部(58年6月1日~60年9月30日)

58年6月1日にレコード部をレコード事業部と改称しました。変更の理由としては、東芝が会社の組織体制に事業部制を採用したためなのか、もしかするとこの頃より、レコード事業分社化の準備に入ったためなのかもしれません。

レコード・ジャケットには会社名のみの表記でしたので、レコード事業部改称直後の変更はなかったようです。しかし、60年に入って2月にキャップ・レコードの発売を開始する頃になると、ジャケット表記を英語表記から日本語表記に変更します。57年5月に邦楽のレコードの発売を開始し、58年9月に邦楽レコードを東芝レコードとして発売開始しましたので、日本人にも分かり易い日本語表記に変更したのかもしれません。

<レコード事業部時代のジャケット表示会社名>

 

その後、東京芝浦電気株式会社はレコード事業を分離独立し、60年10月1日に新会社である東芝音楽工業株式会社を設立しました。以下に東京芝浦電気レコード事業開始から東芝音楽工業設立までの主な経歴を示します。

次回は東芝音工時代の変遷、東芝レコード(新東芝音工)の設立、旧東芝音工から新東芝音工への事業譲渡等について報告します。

<東京芝浦電気レコード事業開始から東芝音楽工業設立までの主な経歴>