1909年7月8日
1週間、いろいろな事を主人と話した。
手術方法の事、セカンドオピニオンの事、義母の事などなど。
セカンドオピニオンは、どこに行っても同じ話を聞くだけだと
思い希望しませんでした。
医大のドクターが、すばらしく前向きな方で、と言うよりも
前向き通り越して上向きだったので他に行く気には全然
ならなかったのです。
義母の事が一番気がかりでした。
手術方法は当日朝まで悩みました。
病院に着くと主人が「また歩けるよ」と、一言。
歩ける為には骨盤を戻さなければなりません。
挑戦してもいいと言うことです。
手術は液体窒素凍結方に決まりました。
その後あらゆる合併症の話や手術の詳しい話をしてくれたのですが
難しすぎて頭に入ってきませんでした。
でも、ドクターはそんな私たちの事をわかっていたのか、当たり前なのか
ちゃんと、サインつきで書面にしてくれてありました。
読めば読むほどたじろぐ事ばかりです。
本人がたじろぐのですから、主人や父はもっと心配だったと思います。
後は手術の日程が出るのを待つだけです。
続きは後日にします。
読んでくださってありがとうございます。