大僧正天海 (203)
「(寛永十二年四月四日)けふ令せらるるは、駄賃銭定制の如く、銭にてとるべし。銀にて與ふる者ありといへども、金壹分に銭一貫のつもりにてとるべし。増銭とらば制札のごとく命ぜらるべし。」(「大猷院殿御實紀」)
「本日発令された内容は次の通りである。
荷物運搬の運送料は、規定通り『銭』で受け取るようにせよ。もし銀で支払おうとする者がいても、金一分につき銭一貫文(1000文)の換算率で受け取ること。もし規定以上の割り増し料金を取る者がいれば、高札(制札)に記されている通り厳罰に処す。」
「堺、枚方へ駄賃馬に乗らばをくりとどくべし。半途にてをろすべからず。馬をかゆるときは、馬夫をみしりをくべし。かく命ぜられしうへ、無頼のものに馬をかり、査検のとき知らざるに於ては曲事たるべし。刃傷せられしものか、又はいぶかしげなるもの馬をからば、昼夜ともすみやかにうたへ出べし。増銭多くとる為に馬をかすにおいては、きと曲事たるべしとなり。」(「同上」)
「堺や枚方へ駄賃馬に乗ったならば、目的地までしっかりと送り届けること。途中で荷物や客を降ろしてはならない。途中で馬を乗り換えるときは、その馬夫の身元をよく確認しておくこと。
このように命じた以上、もし素性の知れない無頼の者から馬を借り、後で取り調べを受けた際に『知らなかった』と弁明したとしても、それは処罰の対象(曲事)となる。
また、刀で斬られた跡がある者や、怪しい様子で馬を借りに来た者がいれば、昼夜を問わず速やかに届け出ること。高い割り増し料金を取るために、そうした不審者に馬を貸したことが発覚した場合は、間違いなく厳罰に処すものである。」
宿駅伝馬の法令は繰り返しだされているので、それだけトラブルも多かったのであろう。特に、業者には客や荷物を中途で投げ出したり、割増料金を請求したりしてはいけない、また利用者には身元のはっきりしない業者から馬を借りたりしてはいけないと厳しく戒めている。
駄賃(運送費)は「銭」が基本であったが、銀の場合は、金一分につき銭一貫文(1000文)の換算率で支払え、と命じている。この時代は複雑な「三貨制度」であった。
金貨は、 1枚、2枚と枚数で数える計数貨幣で、単位は「両・分・朱」で、4進法(1両=4分=16朱)であった。
銀貨は、 重さを量って価値を決める秤量貨幣で、単位は「貫・匁・分」であった。1匁=3.75gに相当し、主に上方での商取引に使われた。
銭貨は、計数貨幣であり、 庶民の日常生活で使われる銅銭のことである。単位は「貫・文」で、1貫文=1000文である。
これら3種類の貨幣の交換比率は、日々変動していた。これを交換するのが「両替商」である。但し幕府は目安として下記の「御定相場」を定めていた。
金1両 = 銀50匁 = 銭4,000文(4貫文)
史料にある「金1分に銭1貫(1,000文)」という指定は、この金1両=4貫文という公定レート(1両の1/4である1分=1,000文)を厳守させ、不正な上乗せを禁じる意図があった。
浦和宿
福田和彦 著『枕旅木曽街道六十九次』前編,
ベストセラーズ,1991.10.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/13245343 (参照 2026-02-26)
