大僧正天海 (117)
「保科肥後守正光、嗣なかりしが、大相国第三の御子幸松丸殿を養君とし参らす。正光率しぬれば幸松丸殿、その家を継ぎ、元服し給ひて、従四位下肥後守正之朝臣とぞ申しける。」(「常山紀談」)
ある日、家光は目黒の辺りで鷹狩をしていた。帰り道、お供をしたもの4~5人で、「成就院」と書かれた寺に立ち寄った。すると、頭巾をかぶった住持らしき僧が、生け垣の傍に立っていたのである。
「ここで少し休ませてはもらえぬか。」と家光が声を掛けると、
「これは、これは。」と住持がほほ笑み、「御侍様方はどちらからお見えになられましたか。」と尋ねた。
「うむ、将軍家のお供をして、ここに参った。」と答えると、「それはお疲れ様にございます。どうぞ心静かにお休みくだされ。」と寺内に案内してくれたのであった。
住持は客室に通すと、奥に下がろうとしたので、家光は、「ご住職、何かこの辺で面白い話はないのか。」と尋ねた。そこで住持は、部屋の隅に座したのである。
家光が辺りを見渡すと、客室の壁に多くの菊を彩り豊かに描いた一幅の絵画が掛けられていた。この見事な菊の絵は、とても無名のものが描いたものとは思われなかった。
「この絵は見事であるな。失礼ながら、このような片田舎の寺には珍しい逸品である。」と家光は感心した。「この寺には、いかなる檀那が付いているのだ。」と尋ねた。
住持は「いえいえ、ここは江戸の片田舎でございますれば、大きな檀那など付くはずもありません。ただ、保科肥後守殿の母上様が、日々、祈祷などのご依頼があります。ただその御家も貧しければ、お布施も決して多くはありません。」と正直に述べた。
家光は、「うむ、それはまずまず良いことではある。他には何か面白い話はあるか。」と尋ねた。
「その他と申されても、ここにいるのは名もなき者共にございます。
強いて申せば、将軍の御家人であらせられるので、恐れ多いことですが、あの肥後守殿と申される人物は、今の将軍様の本当の弟君と申されます。
御いたわしいことに、僅かな知行しか与えられずに、貧しい御暮らしと聞いております。
下賤の者も兄弟は慈しみ合って生きておりますのに、御高位の方々は兄弟の情けというものを知らぬのでしょうか。」というのである。
その話を聞くと、家光の顔は見る見る青ざめたので、お供の者は慌てだした。「上様そろそろ、御暇致しましょう。」と囁くと、家光も頷き、「住職の情けで、足を休ませて貰った。また来る。」といってその寺を出たのである。
そのころ、将軍のお供をしていた旗本たちは「上様は何処に行かれたか。」と大騒ぎになっていた。
旗本の一人が寺にやって来て、「上様が来られなかったか。」と寺の住持に尋ねると、「上様の御事は存じ上げません。ただ今し方まで、お供の方がここでお休みでした。」と答えた。
「愚か者め、その御方が上様だ。」と怒鳴られたのである。
住持は驚き悲しむと、「余計な話をしてしまった。いかなる罪に問われるやら。」とひと月余り門から外に出なかったという。人々の騒ぐ声や、通り過ぎる足音にさえ怯え、まるで魂が抜けたようであった。
成就院(目黒)
