南光坊天海 (175)

 

 

 

【大坂夏の陣⑤】

 

 

 「天王寺岡山両口ノ戦西軍大ニ敗レ、将士大半戦没シ残兵城中ニ退却ス 東軍ハ勝ニ乗シテ三之丸ニ逼ル 」(「日本戦史大坂役」旧参謀本部)

 

 秀頼桜門で待機していると、家康から和議の使者が来たという。秀頼はこれを拒んだが、城内には和議に応じるべきだという者もいた。和議を望む者の中には徳川の内応者もいたのである。内応者には、火を放つものが現れ、城内は混乱していた。

 

 さらに治長茶臼山から帰還したが、大量に出血していて気を失った。城内のものは、天王寺口が敗北したと知り、衝撃を受けた。秀頼の傍にいた真田幸昌も父の身を案じたのである。大坂城三の丸には、続々と敗兵が流れ込んできて、岡山口でも敗報が届いた。

 

 秀頼は憮然とすると、「もとより、死は覚悟の上である。これから城から討って出て戦う。」と言った。速水守之は天王寺口から帰還したばかりであったが、これを強く諫めた。

 

 「前軍はすでに崩壊し、道々には敵兵で溢れております。このような乱戦に主将たるものが足を踏み入れてはなりません。むしろ本丸を守り、身を決することが主将の作法です。」といった。乱戦の中、名もない雑兵に打ち取られることを恥としたのである。

 

 大坂城台所頭・大角与左衛門は密かに徳川方に内応していたので、自ら厨房に火を放った。すると折からの暴風に煽られ、烟燄が天まで上った。

 

 忠直は城中に火災が起きたのを見て、治長の邸にも火を放った。やがて方々から火災が起き、午後五時頃には、ついに二の丸が落ちたのである。

 

 郡宗保旗奉行の津川近治は、秀頼の旗と馬標本丸千畳敷に持ち込んだ。敵の手に落ちることを恥としたのである。先君・秀吉の元に戻す宗保は自害し、近治は引き返し戦死した。

 

 秀頼は、母・淀殿正室・千姫を連れて、本丸に上り、潔く自害しようとした。すると、またしても守之が止めたのである。

 「勝敗は兵家の常と申します。今しばらくお待ちいただき、山里曲輪の土倉に参りましょう。」という。

 

 土倉に入り、火を避けると、治長は「今すぐに、千姫を城外に逃がし、秀頼公母子の助命を嘆願して欲しい。」と千姫の侍女たちに言った。秀頼の使者として米倉権右衛門も同行した。

 

 千姫は、侍女・刑部卿とともに、燃え盛る城を脱出したのである。すると石垣のところで豊臣家の部将・堀内氏久に出会った。氏久が「何者か。」と問うと、侍女が事情を告げ護衛を依頼したのである。氏久は徳川の将・坂崎直盛に遇い、千姫らを託したのであった。

 

 後備・徳川義直(1万5千)とともに、家康は茶臼山に入った。続々と使番の報告が入り、誰が見ても大坂城は、風前の灯火であった。既に勝敗は決し、家康の顔にも安堵の表情が見えた。

 

 やがて、本多正信から治長の老臣・米倉権右衛門千姫を伴い、来訪したとの知らせを受けた。家康は大層驚き、すぐに面談したのである。

 

 千姫は幼くして豊臣家に嫁ぎ、徳川家と豊臣家の紐帯として、長年、辛い思いをさせた。家康千姫のことは哀れに思い、気に病んでいたのである。

 

 直盛は、輿から降りる千姫の横で片膝をつき、目を伏せた。侍女に手を引かれ立ち上がった千姫は、見違えるほど美しい女性になっていた。

 「お懐かしゅうございます。千にございます。」というと両眼から涙があふれたのであった。

 

 

千姫