これまでの話 (75)
秀忠が駿府にやって来たので、三ノ丸において、歓迎の猿楽が催された。
舞台では次々と演者が舞い、最後に現れたのは、利景、池田重信、鈴木伊直の三人である。この三人、前回の猿楽で、大御所・家康を心底楽しませたので、この度は御所・秀忠のために舞うようお達しがあったのだ。
この度も一同大笑いで、三人の「拙技」はすっかり有名になったのである。出し物が終わると、利景らは万雷の拍手を浴びた。
「いかに奉公とはいえ、何をやっているのか、勘右衛門。」と利景はいささか自嘲気味に呟いたのであった。
「え~、上様。」と利景が言うと、
「駄目だ、隠居は罷りならん。」と家康は笑いながら言う。
「某も73歳になりました。一度、美濃に戻り身辺整理をいたしたいと存じます。」
「何のための身辺整理だ。勝手に老け込むことは許さんぞ。もうしばらく俺の傍にいろ。」と無理な事を言う。
「実は、幼い頃、飯高山満昌寺という寺に入り、坊主をしておりました。その頃、秋山の軍勢の襲撃に会い、寺はすべて焼け野原となってしまったのです。その際、兄である友治も亡くなり、某は還俗して、明知遠山家に戻りました。その満昌寺が今も焼け跡のままでございます。某が生きているうちに、これを再建したいと願っております。」と利景は言う。
「分かった。一旦、帰国を許そう。だが、必ず戻れ。僧正からも聞いておろうが、まだお前の力がいるのだ。だから必ず戻れ。」と家康は厳命した。
慶長17年(1612年)4月8日、秀忠が江戸に戻るという事で再び猿楽が催された。利景は既に旅立ちの準備を終え、秀忠の送別の儀を見届けると、僅かな供連れと共に美濃に向けて出立した。
旧暦の四月は、新暦では5月ごろである。桜は既に散り、富士山麓はツツジが咲き乱れている。利景らは馬に揺られながら、ゆっくりと東海道を西に向かっていった。暖かい駿河から、わざわざ山深い美濃に帰るのである。
阿寺伝蔵が早足で馬を寄せ、話しかけてくる。
「殿、お呼びですか。」
「うむ、お前は西阿弥陀の草堂にある観音像を知っているか。」
「はい、祠に納められた古い観音像であったかと思います。」
「あれは、もともと満昌寺の仏像であったのだ。龍護寺を開いたとき納めようかとも思ったのだが、今日まであのままにしてきた。オレはまず、あの観音様をお救いしたいのだ。どこぞに良い土地を見つけて、小さくてもよいから、これを本尊とする寺を建てたい。」という。
伝蔵は持ち主が何度変わろうとも、城を守り続けたこの観音像に感謝しているのだろう、と思った。同時に『殿もお齢を召されたか。』としみじみ感じたのである。
恵那の明知城につくと、養子の経景が温かく出迎えてくれた。生まれ育った明知城に戻ると、何故か心が穏やかになる。亡くなった父母が、迎えてくれているようだ。城内の奥に利景のお気に入りの部屋がある。ここは、冬でも日が差し温かいのだ。
「子供のころ、上座に父・景行が座り、よく家族の団欒を眺めていたものだ。」としみじみと語った。
利景は、遠山家の菩提寺・龍護寺の第一世・覚岩和尚の手を借り、滝坂山観音寺を建立させた。そしてこの寺に観音像を収め、本尊としたのである。
明知城址
