天海 (231)

 

 

 

 江戸の遠山屋敷は森閑としていた。聞けば当主の利景嫡男・方景も美濃明知城にいて、新領地の支配で忙しいようである。江戸には養子の経景が留守を預かっていたのであった。

 東美濃も領地が正式に確定していた。明知遠山家は恵那郡明知城で交代寄合6531石となった。苗木遠山家は苗木城1万500石で諸侯に列した。小里家は小里城3620石で交代寄合となり、妻木家は妻木城において交代寄合7500石で、基本的には本領安堵となった。しかし、一部所領から外れたところもあり、妻木家にとっては多少不満の残る結果であった。岩村城には、大給松平家の松平家乗が入り、美濃岩村藩2万石となったのである。

 

 「お話は伺っております。どうぞお入りくだされ。上人様も近々お見えになるでしょう。」と経景はにこやかにお福を迎え入れた。

 お福は、天海とは幼い頃に会ったことがあるものの、あまり記憶がないのである。天海は明智一族の総帥であり、家康のそばにいる有力者と聞いて、緊張を隠せなかった。

 

 二日もすると、天海は現れた。体躯も大きく威厳に満ち溢れていたのである。お福が緊張しながら、この度の感謝を伝えると、

 「ほう、あの人見知りの少女が、実に立派になられたものだ。」とまるで自分の娘のように手放しで喜ぶのである。

 「内蔵助は文武に秀でた実に見事な武人であった。」と天海は懐かしむように父親の利三の話を聞かせてくれた。実に朗らかで、偉ぶる処がなかったのである。緊張していたお福はその気遣いが何より嬉しかったのである。

 「我ら明智一族は多くの者を失った。生き残った一人一人が家族も同然である。我が家に帰ったと思い、寛ぐがよいぞ。まぁ、もっともここは弟の家であるがな。」と天海は言うと「いえ、いえ、もはや我が家も同然でございましょう。」と経景も応じて、二人は大笑いするのである。

 

 「庄兵衛様は、恐らく大名家のお女中ではないかと申されておりましたが、如何でございましょう。」とお福が尋ねると、

 「それが内府様も、まずは面談してからだと申されて、はっきりとは言わないのだ。」と天海が言うと、

 「内府様にお目に掛かれるのですか。」とお福は目を丸くした。

 「いや、恐らく直にではあるまい。」と天海も首を傾げるのだ。

 

 お福が呼び出されたのは、江戸城であった。天下普請の前、まだ質素な城ではあったが、御殿は既に出来上がっていて、徳川家にふさわしい豪華さである。

 天海とお福は、御殿表の御簾のある部屋に通された。そこには正信とあまり見慣れない家臣が侍っていたのである。

 お福は何も偽らず、包み隠さず、有りのままにお話しする、と心に決めていた。素性を聞かれると、

 「明智家家臣、斎藤内蔵助利三の娘として丹波国黒川城で生まれました。」と話し始めた。その後、父が合戦に敗れ、三条河原で斬首されるのを見たこと、母と追っ手を逃れ、知人の家を流浪の後、美濃稲葉家の祖父に匿われたこと、斎藤の名を捨て稲葉福として世を忍び、三条西家で猶子として育てられたこと、等を告げると、御簾の奥に何か気配を感じたのである。「誰か居られるのか。」とお福は思った。

 

 「ご苦労されましたな。」と正信は言うと、その後幾つか質問をして、その日の面談は終わったのである。

 二人が退室すると、正信は御簾を開けた。そこにはお江与の方がいた。

 「いかがでございました。」と正信が尋ねると、

 「小谷城が落ちた時、私はまだ幼かったが、母上がご自害された北ノ庄の事は、はっきりと覚えています。」とお江与はいった。

 「あのものも辛い思いをされたのですね。」と呟いたのであった。

 

崇源院(お江与の方)