天海 (230)

 

 

 

 「それにつきまして、ひとつお願いがございます。」と天海は神妙な顔つきで言った。家康正信は話の流れから、稲葉正成の仕官であろうと思い、困惑したのである。

 関ケ原合戦における稲葉の働きは十分理解しているのだが、今は改易されて牢人になった者たちから、仕官の申し出が夥しく来ていたのである。それぞれが有力家臣を通じているので、無碍にはできず、家康正信を悩ませていた。

 

 「正成の働きは良く知っているが、今すぐは無理だぞ。」と家康は釘を刺した。

 「いえ、いえ。」と天海はかぶりを振ると、

 「内府様はお福という女を覚えていらっしゃいますか。」と尋ねた。

 「うむ、正成の正室であったか。」と家康は答えた。

 「今は少し事情があり、庄兵衛の所に身を寄せております。」と天海が言うと、家康はにやりと笑い、「女であろう。」と言い当てた。

 「男というものは暇になると、酒と女遊びのほかすることがないものだ。」と得意そうに言うのである。

 「恐れ入りました。」と天海は素直に認めた。

 

 「お福が申すには、稲葉の家を出たいと申します。今の世で、女が一人で生きていくのは容易なことではありません。しかし、お福は稲葉家で武道を、三条西家で教養と礼儀作法を身につけた、まさに才女にございます。一度、お目通り願いませんでしょうか。」というのである。

 

 家康と正信は目を合わせた。二人とも同じことを考えていたようである。

 秀忠の正室のお江与の方は、長く上方で暮らしていて、東国は江戸が初めてであった。このため東国の風習や言葉に中々馴染めなかったのである。そこで京都の風習、教養を身につけた侍女を探していたのであった。

 

 「それなら心当たりがなくはないが…。」と家康は少し微妙な言い回しで、言葉を濁したのである。よく考えてみると、お福は信長を殺した斎藤利三の娘である。お江与はその信長の姪である。お江与はこれをどう思うであろうか。

 「何にせよ、どのような人物か見ておきたい。詳しい話はそのあとだ。」と言った。そこで天海はなるべく早く江戸に来るようお福に伝えたのである。

 

 「春日局、始めは福女と云ひ、美濃の斎藤内蔵助利三が娘、天質端麗にして女の職務に秀でしのみならず、その心雄々しくして男子も及ばざる程なりき。然も逆賊明智が一族の斎藤の娘なれば、世の中を憚りてか、二十一の春まで徒に山里に暮したり。」(「日本女鑑」)

 

 「江戸に行くのか。」と庄兵衛は尋ねた。

 「はい、折角のお話なので参りたいと存じます。」とお福は言う。

 「そうか、恐らくは、どこぞの大名のお女中であろう。あまり期待はできないと思う。ここにいても良いのだぞ。」と庄兵衛は心配していった。

 「江戸は今、大きく発展していると聞きます。新しい世界をこの目で見たいと思います。」とお福は迷いもなく言ったのである。

 庄兵衛はその芯の強さに驚かされた。さすがは内蔵助の娘である。

 「分かった江戸まで護衛をつけよう。」と庄兵衛が言うと、

 「いえ、こう見えても、盗賊の一人や二人には負けません。」とお福は言う。

 「馬鹿を言うな。この件はオレが弥平治に頼まれたのだ。オレにも責任がある。江戸までは必ず送り届ける。

 江戸に着いたら、まず遠山勘右衛門様のお屋敷に入れ。そこに弥平治、いや、天海上人が来るはずだ。そののちは天海上人の指示に従い、面談を進めよ。何かあれば天海上人か、勘右衛門殿に相談せよ。

 見知らぬ土地ゆえ、くれぐれも気を付けるのだぞ。」と庄兵衛は話したのである。その不安げな面持ちは実の娘を送り出す父親のようであった。

 心配する庄兵衛に見送られながらお福は従者と共に江戸に旅立った。この時お福はまだ23歳であった。

 

古今名婦鏡』より、強盗と戦う春日局(安達吟光画、1880年頃)