忙中閑話 ②

 

 

 

 さて「忙中閑話」とは、「忙中閑あり」と「閑話」を合体させた言葉で、エッセイなどでよく使用されます。

 まず「忙中閑あり」とは「忙しい中にもわずかな暇がある状態」であり、陽明学者である安岡正篤氏の座右の銘だそうです。

 「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。」という意味だそうです。確かにあまり忙しいと、心を病みますが、退職して、突然暇になると、何をしていいのか分からず、どこにも所属していないという不安から、心を病む人もいるようです。

 「閑話」とは「無駄話」のことで、話が横道にそれることです。つまり本編の話が続いているのに、途中で話が横道にそれた事を意味します。

 

 似たような言葉に「閑話休題」というものがあります。こちらは「無駄話はこれ位にして本筋に戻る。」ことを意味します。要するに正反対の言葉ですね。

 

 さて「天海」編が長くなり過ぎて、どこから読み始めればいいのか分からない状態になっています。だらだらと書き連ねた筆者が悪いのです。そこで後付けながら「目次」を作ってみました。本当に泥縄ですけどね。(笑)

 

 天海 ①    ~  ⑪   【法名は天海】

 天海 ⑫   ~   ㉓   【小田原征伐】

 天海 ㉔   ~   ㉝   【関東入府】

 天海 ㉞   ~ (53)    【文禄の役】

 天海 (54)  ~ (63)    【秀次切腹】

 天海 (64)  ~ (77)  【講和の破綻】

 天海 (78)  ~ (92)  【慶長の役】

 天海 (93)  ~ (105)  【太閤薨去】

 天海 (106) ~ (119)     【朝鮮撤兵】

 天海 (120) ~ (132)   【利家の最期】

 天海 (133) ~ (145)   【家康の台頭】

 天海 (146) ~ (155)   【会津征伐】

 天海 (156) ~ (173)   【関ケ原前夜】

 天海 (174) ~ (188)   【関ケ原決戦】

 天海 (189) ~ (201)   【関ケ原夢の跡】

 天海 (202) ~ (213)   【覇者の道】

 

閑話休題

 

天海座像

寛永寺 編『慈眼大師全集』上巻,寛永寺,大正5. 

国立国会図書館デジタルコレクション

 https://dl.ndl.go.jp/pid/980473 (参照 2024-06-26)