忙中閑話 ①

 

 

 はじめて福井県に行ってきました。

 実は大学サークルのOBのひとりがここで温泉宿泊施設の社長をしています。そこで卒業以来の本格的なOB会をここで盛大にやろうという話になりました。このような企画は音頭を取る人が大切で、段取りや計画・人集めと大変な作業が必要です。(N君ご苦労様でした。)

 N君によると初めはみんな消極的で心が折れそうだったようです。ただ北海道と九州からも参加希望者がいたので、何とか人数を集めようと頑張ってくれました。最終的には21名を集めて、無事開催にこぎつけたのです。

 

 実はこのサークルは音楽サークルで、I社長はヴィンテージもののマーチン3本とウクレレ2本、バンジョー、キーボード、カホンを揃えてくれました。会場は普段カラオケ大会を開催しているおかげで、音響機器もばっちりです。さらにS君がフラットマンドリンを持ち込みました。しかも演奏は自由、時間は無制限!これだけの音楽環境は一般の宿泊施設では無理ですね。

 さらに食事に宿泊、観光とI社長の大盤振る舞いに恐縮しながらも、全員が忘れられない楽しい時間を過ごしました。

 

 参加者は卒業してから既に43年以上たっていて、揃って老齢年金受給者です。サークルの仲間には残念ながら既に物故者もいて、ついつい「あいつは今どうしている。」とか、「当時はこんなことがあった。」とか、昔話に花が咲きます。

 

 当時、私は坂口安吾に代表される「戦後無頼派」の文学に傾倒していて、「大いなる落伍者」を目指していたのです…って要するに受験に失敗し、大きな挫折感を抱いて入学したのでした。

 文学を志そうかと思い、文芸部に入ろうとしたのですが、文芸部には、まだ学生運動の残滓が蔓延っていると聞き、怖いので敬遠しました。

 さて、これからどうしようかとキャンパスを彷徨っていると、何とも陽気なバンジョーの音が聞こえてきます。フラフラと近づくと、可愛い女子に声を掛けられて、ついこのサークルに入ってしまいました。

 

 それでも「大いなる落伍者」に対する憧れは捨てがたく、髪と髭を伸ばし毎日酒浸りで自堕落な生活を過ごす…筈だったのですが、残念ながら私は全くの下戸でした。生活もいたって健全で授業も真面目にでていました。どうにも親を泣かすような生活は、出来ないようです。要するに私には「落伍者」になる才能に欠けていたようです。

 ちゃんと生きていけるなら、それに越したことはないのです。人と違った生き方には、それなりの覚悟が必要です。

 

 今でも、私は「生活の柄」(唄:高田渡)が好きです。

♪秋は、秋からは、浮浪者のままでは眠れない♪

 束縛されないとは、同時に生きていく保障がないことなのです。自由に生きることには、大きなリスクがあります。

 

 さて、このサークルにはTさんという人がいて、ある日「六番町ラグ」という曲を弾いていました。私はこれまで、こんなに自在にギターを弾く人を見たことがありませんでした。そこでTさんから初めて「中川イサト」というギタリストを教えてもらったのです。その後もTさんにはギターを色々教えてもらいました。

 

 OB会は沢山の人がステージで演奏し、学園祭の様でした。私も朝から晩までマーチンを弾きまくりました。私の好きな音楽は最早、社会的需要がなく、愛好する人も少ないのです。地元ではセッションもなかなかできません。ギターとバンジョー、フラマン、カホンと一緒に、私は待望の「生活の柄」を歌うことが出来ました。気分は最高なのに…何と歌詞を忘れて1/3も飛ばしてしまったのです。

 次はいつ、どこでOB会が出来るか、分かりません。今回残念ながら来られなかった人たちもいます。「必ずまた会おう。」と約束して、サークルの仲間たちは笑顔の散会となりました。