天海 (171)

 

 

 

 「慶長五年八月一日、是ヨリ先、西軍ノ大谷吉継・京極高次・脇坂安治等、越前ニ入リ、是日、宇喜多秀家・毛利輝元、東軍ノ加賀金沢ノ前田利長ノ、同国小松ニ出陣スルニ依リ、高濱ノ木下利房及ビ其兄若狭小濱ノ木下勝俊ヲシテ、越前北庄ニ赴援セシム。

  是ヨリ先、淡路洲本ノ脇坂安治、越前ニ出陣ノ途次、大坂ニ帰リ、子同安元ヲシテ、関東ニ出征セシム、安元、近江ヨリ大坂ニ帰ル、是日、徳川家康、安治ニ答ヘ、将ニ西上センコトヲ告グ。」(「史料綜覧」)

 

 脇坂安治は大坂に留まり、嫡男・安元会津征伐に参加させるため、関東に下向させた。ところが、行く手を三成に阻まれて大坂に戻ったのである。安元は止むを得ず、家康に書状を出し、事情を説明して忠節を誓ったのであった。

 

 7月26日、前田利長と弟・利政は、越前と加賀南部が西軍に加わったため、2万5千人で南下し、丹羽長重小松城を包囲した。しかし小松城は堅牢で、落とせぬまま、加賀国松任まで進み、大聖寺城山口宗永・修弘父子を攻めた。8月2日、宗永父子を自害させたのである。

 8月3日、大谷吉継は6千人の兵で越前に侵攻した。兵力で劣る吉継は偽書を利長に届け、攪乱したという。

 

 「今度大軍を催サレ、近国ヲ打ナビケ、上方発向有之由聞候。是ニ因リテ、大坂ヨリ大軍、敦賀表ヘ出張ス。大谷刑部、敦賀ヨリ兵船ヲ揃エ、貴殿出軍ノ跡を加州ノ浦々へ乱入セント欲ス。足長ニ出発候テ、海陸前後に敵を受ケタマヒテハ、始終覚束ナク候。能々御思慮有ルベシ」

 

 動揺した利長は越前から金沢に帰国したのである。加賀国小松城に差し掛かると丹羽長重が出陣、前田軍を待ち伏せて襲った。前田軍は被害を出しながらもこれを撃退して、金沢城に帰還したのであった。

 

 「慶長七年八月四日、徳川家康、井伊直政ヲシテ、本多忠勝ト共ニ先鋒ノ軍ヲ監セシム、仍リテ、諸将ヲシテ、直政ノ指図ニ従ハシム、尋デ、直政、病ムニ依リ、忠勝ヲシテ之ニ代タシム。」(「史料綜覧」)

 

 8月4日、直政は井伊隊を率いて西上し、先行する福島隊、池田隊を監督する手筈であったが、急病に罹ったという。しかし事態は切迫していたため、家康は代理として忠勝を派遣することにしたのである。

 忠勝は、すでに秀忠軍に参陣していたが、嫡男・忠政に本多隊を任せると、500人の旗本だけを引連れて江戸に舞い戻った。こうして忠勝隊と井伊隊は東海道を西上することになったのである。

 

 さて、神田の薬師堂で護国を祈念していた天海は、またしても家康に呼び出された。

 「天海、良いものが出来た。お前に早く見せたくてなぁ。もともと勘右衛門に命じていたのだが、あいつも色々忙しいので、オレが見繕った。」というと、家康は悪童のように笑った。

 「どうだ、銀小札の萌黄糸威、二枚胴具足である。しかも麒麟の前立てであるぞ。」と家康は自慢げにいう。

 「こ、これは、どちら様の…。」と目を白黒させている天海を見て面白そうに家康は言う。

 「お前のものだ。しばし、左馬助に戻り、オレに同行しろ。オレは戦乱を終わらせ、必ずや天下を鎮める。お前なら知っておろう。麒麟は仁のある国主の前に現れる瑞獣である。左馬助、お前は今日から麒麟となりオレの天下泰平を助けるのだ。」といったのである。

 

 

銀小札萌黄糸威二枚胴具足麒麟前立付兜(伝:天海所有)