天海 (137)

 

 

 

 大坂の稲葉邸はなかなか立派な屋敷であった。小早川家付け家老の正成は、見るからに野心家であり、油断のならないギラギラとした目をしていたのである。

 

 庄兵衛は久方ぶりにあったお福の変貌ぶりに驚きを隠せなかった。庄兵衛が庇護していた子供たちの中でも、お福与平次は、幼いころから気にかかる存在であったのだ。

 お福は子供の頃から顔立ちがはっきりしていて、稲葉家では武道を、三条西家では有職故実や礼儀作法を学んでいた利発な子であった。謀叛人の子として生まれ、親がいなくても気丈に振舞うお福は、周囲から、芯の強い子供だと思われていた。

 しかし幼少の頃からお福を知っている庄兵衛にすれば、古典文学を愛する華奢で、儚げな少女でしかなかったのである。壊れそうなその美しさに、庄兵衛は危うさを感じずには、いられなかった。

 

 お福は二十歳になって長男を生んだばかりであったが、すでに優雅で妖艶な美しさを漂わせていたのである。

 (母親になると女はこうも変わるのか。)と庄兵衛は舌を巻いた。

 周囲に対する気配りも堂に入ったもので、正成とは10年も付き添った夫婦のようであった。この頃の夫婦仲は蜜月で、二人は仲睦まじく見えた。

 (それは、この家で生涯を全うしようというお福の覚悟なのであろう。)と庄兵衛は感じた。運命は変えられないが、自分は変えられるのである。お福という女性はそのような人に見えたのだ。

 

 正信の書状に目を通しながら、正成は考える。秀秋は豊臣家の一族衆であるから政権との繋がりはある。また家臣は毛利家と所縁のあるものが多いので、西国大名との関係も深いのだ。しかし、徳川家をはじめとする、東国武将とは十分な人脈を作れていない。ここで家康との取次が出来ることは家中で大きな発言力を得られるのではないか、と考えた。

 

 「お福より聞いたが、庄兵衛殿は、元は明智一族というのは真であるか。」と正成は尋ねた。

 「はい、我等、明智一族は現在、内府様の庇護のもと働いております。」と庄兵衛は言う。

 「一族を率いているのは庄兵衛殿であるか。」と重ねて問うので、

 「いえ、現在、明智一族を束ねておりますのは、内府様から深くご帰依いただいております天台宗の僧侶・天海上人でございます。」と庄兵衛は言った。

 なるほど、天海の名前だけは正成も聞いたことがあった。

 「庄兵衛様は、元は明智家の重臣で、私が幼い頃から、何かとお力添えを頂き、困窮する時は、いつもお助けいただいた、命の恩人でございます。」とお福は控えめながら、はっきりとした口調で話した。

 

 「うむ。」と頷くと、「相分かった。今後は其方らに大切な取次役を頼むこととする。人目を憚る事柄もあろうから、あくまでも“庄兵衛殿”からの書状とする。」というのだ。

 「分かりました。その旨、内府様にお話しいたします。ここに居りますのは我が家の跡取りでございます。私も些か高齢になりましたので、この為信がお取次ぎを担当いたしますので、よろしくお願いいたします。」と言うと庄兵衛たちは稲葉邸を辞した。

 

 帰り道、為信は「前に親父殿から聞いていたお福様とは、印象がまるで違っていました。」と正直に言った。

 「うむ。実はオレも驚いた。いつの間にか、大人の女性となり、何やら貫禄めいたものまで備わっていたな。」と庄兵衛は少し残念そうに言った。

 

 

春日局銅像