天海 (129)

 

 

 

 家康もあっさり鋒を納めた。2月2日、家康は四大老、五奉行と誓紙を交わし、和解の証として利家と家康が相互に訪問することにしたのである。

 

 一、この度縁組の件につき御理の通り承り、以前と変わらず諸事入魂すること

 一、太閤様の遺言、五大老・五奉行の誓紙に背かないこと

 一、双方へ入魂の者へも遺恨を残さないこと

 

 利家は、伏見を訪問する時、「太閤様は薨御の直前まで秀頼様を頼むと言っていたのに、内府はもう勝手をしているのだ。私は内府に約束を守らせるために直談判に行くつもりだ。決裂すればこの刀で内府を斬り捨てる所存である。もし私が家康に斬られたら、その時はお前が弔い合戦をしろ。」と嫡男・利長に言い残すと、伏見に向かったのである。

 

 ところが利家が家康のもとを訪問すると、家康は殊更神妙に応対し、利家に対して礼を尽くしたのであった。さらに、利家の勧めで対岸の向島城へ移ること等を快く承諾して両者は和解したのである。

 家康は、利家が多くの武将に慕われていること、そして余命が幾ばくも無いことを知っていたのであった。

 「つまり、オレが死ぬのを待っているのか。」と大坂への帰り道、利家は暗然として呟いた。

 

 家康は利家の申し出の通りに、宇治川の南岸にある向島城に移った。

 「徳川屋敷は治部少丸の真下にあり、防御上問題が多かった。兵を上洛させたのは、治部少丸からの攻撃を防ぐためだ、と説明したのだ。すると利家は、では向島城に移ればよいと言った。我等とすれば誠に好都合であるな。小平太の軍を丸ごと向島城に入れようぞ。」と家康は嬉しそうに言う。

 「加賀様は、やはりご容体は良くないご様子でしたな。」と正信は言った。

 「うむ、残念ながら、かなり重いと見た。この度の騒動もかなり堪えたであろう。」と家康は深刻な顔をして言う。

 「残念ながら、ですか。」と正信は意地悪く尋ねる。

 「佐渡、お前はオレを何と心得るか。こう見えても仏の家康であるぞ。」と家康は苦言を呈す。

 「恐れ入りました。」と正信は頭を下げたが、その顔は神妙なのか、笑っているのか、まるで分からなかった。

 

 伏見の遠山邸では、利景が拍子抜けした顔で軒先に立っていた。

 「兄者、これで良かったのですかね。」と利景が尋ねた。利景は一戦に及ぶものと、年甲斐もなく張り切っていたようである。

 「これで良いのだ。これで五奉行の権威は地に落ちた。最後の最後は武力がものを言う、という事がはっきりわかったろう。つまりこれからは、大老の支持がなければ奉行は何もできなくなった、という訳だ。ほら、勘右衛門、寒いから入るぞ。」と言いながら、邸の中に入っていく。

 

 「殿が大坂の前田邸に出向くそうです。私も行きたいなぁ。」と利景が残念そうに言う。

 「勘右衛門、お前も年なのだから、余り欲張るな。」と天海は利景を窘めたのである。

 

 

伏見城

 

『伏見桃山御殿御城之画図』,写,明治14.

 国立国会図書館デジタルコレクション 

https://dl.ndl.go.jp/pid/2542510 (参照 2024-03-22)