天海 (124)

 

 

 「ところで、私は与右衛門天海、勘右衛門近江衆の懐柔を頼みたいのだ。近江は三成の根拠地で地理的にも重要である。ここを三成に抑え込まれると東国との連絡が断たれ、秀忠上洛の妨げにもなる。」と家康は言うのである。

 

 近江は秀吉の知行地だったこともあり、蔵入地(23万石)が多かった。大名としては北近江佐和山に石田三成(19万4千石)、南近江大津城に京極高次(6万石)、甲賀郡水口に長束正家(5万石)、坂田郡等に新庄直忠(1万5千石)、朽木谷には朽木元綱(9千石)等がいた。

 

 「三成と正家は奉行であるから、実質は高次元綱、そして直忠か。」と高虎は天海に問いかけた。

 「京極侍従とは、些か付き合いがあった。本能寺の折にも、お味方してもらったが、それを今どう思われているか。何とも言えぬところだな。」と天海は難しい顔で答える。 

 「京極のいる大津は重要地点だ。是非とも懐柔したいところである。」と家康は言った。

 

 「まぁ、必ずしも近江に所領がある者に限定せずともよいであろう。三人の人脈でも考えて貰いたいのだ。」と正信は言う。

 「今回の遠征で脇坂とは、かなり親しくなった。あいつとは同世代で、実に良い男だ。」と高虎は笑顔で語った。

 

 すると天海はしばらく考えた後、

 「小早川中納言様の付け家老に稲葉正成と申す者がおります。その継室が明智一族とかかわりがあります。」と言ったのだ。

 「稲葉と申すと、確か一鉄殿の御子息でしたな。」と康政は思いだしながら言った。

 「はい、正確に言うと、正成は林家から一鉄様の長子・稲葉重通様の婿養子に入りました。しかし、その重通様のご息女が早世され、養女であった斎藤内蔵助の娘・お福が継室として入ったのです。」と天海が説明すると、

 「おお、あの内蔵助の娘か。」と家康が大きな目を見開いて、声を上げた。

 「これは驚いた。磔になったのであるから、族滅したものとばかり思っていた。ううむ、明智の一族は実にしぶといのう。」と感心したように言ったのである。

 「小早川家は是非ともお仲間にしたいところですが、何せ太閤様のご一族であれば、難しいものと思われます。」と康政の見通しは悲観的である。

 「何かしら恩義を与えておけば良いでしょう。確か、主はまだ小童であったかと、所詮、付け家老に逆らえないのではないでしょうか。」と正信は、少しは見込みがあると思ったようだ。

 話を聞いて家康も、確かに味方に付ければ大きいが、簡単ではないだろう、と思ったのである。

 「いずれにせよ、天海、稲葉と渡りをつけてくれ。」と命じたのであった。

 

 「奉行衆は関東の大勢力である徳川家を孤立させようとするであろう。よって我らは、孤立を避けるため、加藤家伊達家、島津家、黒田家、細川家等と密かに婚姻を結び同盟を進めたいと考えている。」と正信は言うのだ。

 「それを秘密裏に行う事は太閤様が定めた掟に反するのではないでしょうか。」と利景が疑問を呈すると、

 「うむ、奉行衆とは揉めるであろうな。それで、誰が味方で誰が敵なのか判ろうというものだ。」と家康は事も無げに言ったのである。

 

 

稲葉正成