天海 (94)

 

 

 廊下をどかどかと歩く音が聞こえた。「天海殿おられるか。」との大声。どうやら康政の様である。

 「これは、榊原殿どうなされました。」と天海が尋ねると、

 「小平太で良いって。」と言いながら、「川越から書状だ。」と手渡し、どっかりと前に座った。

 「豪海僧正ですな。」と言いながら、天海は目を通した。

 「なんだ、なんだ、どうした。」と康政は見る気満々である。

 「うむ、体調が思わしくなく、寝たり起きたりのご様子です。ついては今のうちに引継ぎを済ませたいので、早めに北院に戻れとのことです。」と言って康政に書状を見せると、

 「住職を早めに譲りたいとか、いずれにせよ殿にお伺いを立てねばなるまいな。数日中にはご帰城なされるであろうから、お目通り願おう。」と康政は言うと、うむ、うむと頷きながら部屋を出て行った。

 

 数日後、家康にお目通りが叶うと、家康は何やら悩ましい顔をした。

 「天海住職を継ぐために、川越に戻ること致し方あるまいが、なるべく早く戻って欲しい。詳しく言えぬが、これから色々動きがありそうなのだ。」と家康が言うと、康政と小声でひそひそと話し合い、

 「北院で所用がすめば、登城し佐渡と打ち合わせ、領内の宗教政策を考えよ。できれば組織を作り寺社を管理できる方策を検討してほしい。そして火急の用事があれば書状を出すから、早急に上方に戻って来い。」と申し付けた。なんとも欲張りな話である。

 

 天海は早くも旅支度を始める。倫子のところにも行かねばなるまい。幽斎にも書状を出そう、と考えていると康政が来た。

 

 「天海殿は馬で行かれますか。」と尋ねる。

 「もともと旅僧なので、一人、徒歩で参る所存です。」と天海が答えると、

 「それはなりません、それは断じてなりません。江戸の内府様がご帰依なさる天海上人に万が一のことがあれば、この小平太の首が跳びます。」等と物騒なことを言い出す。

 「天海殿は確か、遠山一族でしたな。実は館林に我が家の客将として苗木の久兵衛殿がいて、つまり、まぁ正直いって家禄が少ないので、ご家来衆を少しお預かりしているのだ。ここに、その一人である遠山弥右衛門景利を連れてきているので、旅の護衛に付けようと思う。天海殿は馬に乗れるので、何かと都合が良かろうと思う。」というのである。

 「それはありがたい。しかし、当方も色々私用があり、道中、寄り道をするが、よろしいか。」と言うと、

 「分かり申した。街道沿いならよかろうと思います。弥右衛門には、よく言っておきましょう。」と康政は言った。

 

 苗木遠山家友政森長可に美濃を追われ、浜松の家康を頼って、落ち延びた。その後、菅沼家の与力となり、今は康政の客将となっている。康政が、「家禄が少ない。」という事は300~500石くらいであろうか。恐らく家臣を食わせることが出来ないのであろう。

 思えば似たような境遇である利景上総国で三千石知行を得ている。

 「勘右衛門は、随分頑張ったのであろうな。」と天海は改めて感心したのであった。

 

 

館林城跡