天海 (80)

 

 さて、この海戦では高虎嘉明との論功行賞を巡る対立が伝わっている。激高した高虎が刀の鍔に手を掛けると、嘉明が「それは小童がやる事だ。」と窘めた、という類の話である。ただその出典が分からないのだ。戦いの経緯も全く異なっていて、嘉明が抜け駆けした話となっている。時期としては、この漆川梁海戦のようだが、いずれにしても、とても事実とは思えないのである。

 まず、嘉明の言動に怒り、高虎が刀に手をかけたという逸話は「小西行長と加藤清正」が元ネタであろう。軍律に違反して単騎先駆けしたのは閑山島海戦の脇坂安治の逸話である。それに7歳も年上の高虎を「小童」呼ばわりして、周りの諸将が感心するとは思われないのだ。要するに、この作者は嘉明の無念を晴らしたかったのであろう。

 

 加藤軍の到着を待たずに、藤堂軍が戦を仕掛けたため、嘉明が怒ったという話なら辻褄が合う。なにせ秀吉子飼いの武将としてプライドの高い嘉明が、目の前で手柄を取られたのだから、怒る気持ちも分からぬでもない。

 しかし、敵の油断を見つけたら仕掛けるのが当然である。仮に藤堂軍が、加藤軍の到着を待っていて、敵に気付かれたのでは、味方に無用な被害を与えることになるのだ。

 高虎は人の好き嫌いがはっきりしている人物である。陪臣上がりの高虎を見下すような嘉明の言動が、そもそも気に入らなかったのであろう。

 

 憮然として部屋を出て言った嘉明を高虎は睨みつけていた。

 「左馬助(嘉明)も悪い男ではないのだ。家臣思いのいい大将だ。だが、太閤様の子飼いの武将の中で、年の近い市兵衛(福島正則)が清洲で24万石、虎之介(加藤清正)が肥後で20万石と破格の処遇を受けている。嘉明は何としても手柄を立てて、追い着きたいのだ。焦る気持ちは良く分かる。このオレも閑山島では大失敗をしているからな。」と言い、安治は嘉明を弁護した。

 高虎は、腕を組み、しばらく自分を落ち着かせると、

 「それはオレの知ったことではない。あの男はオレを陪臣上がりと馬鹿にしているのであろう。子飼いだからと言って何が偉いのだ。」と言うと、高虎も席を蹴って出て行った。

 昔の高虎なら本当に刀を抜いたかもしれないが、今の高虎には分別がある。かっとしても、自分を落ち着かせることが出来た。しかし、所領が隣接しているため仲が悪かった二人は、ここで犬猿の仲になってしまったのである。

 

 漆川梁海戦で大敗した朝鮮水軍は元均をはじめ多くの将兵が戦死した。朝鮮水軍は、ほぼ壊滅してしまったのである。唯一、慶尚右道水軍節度使の裴楔が2~3艘の板屋船で帰還しただけであった。

 朝鮮王朝は、再び李舜臣を水軍統制使に任命したのである。拷問を加え、一度は死罪まで宣告した将軍を恥ずかしげもなく再任したのだ。

 

 李舜臣は暗然たる思いで海を見ていたことだろう。軍船も長年育て上げた兵士も一度に失ってしまったのだ。もはや涙も出ない。ともかく壊滅した水軍の再建を進める他なかったのだ。

 再び李舜臣が率いることになった朝鮮水軍には、僅か12艘の板屋船しか残っていなかったのである。

 

加藤嘉明