明智秀満 (124)
秀満が天守に戻ると知恩院から逃れてきた光忠がいた。
「次右衛門、足は大丈夫か。」と問うと、
「ああ、玉は抜いたが、あまりよくない。」と光忠は足を開いた。紫色に腫れ、膿んでいる様だ。
「弥平次兄さん、こんな時に済まない。」と光忠は言う。
「いや、次右衛門がいてくれて大助かりだ。皆に指示を出してくれ。」と秀満は言った。
秀満は地下に保管されている焔硝を天守に移動させ積み上げていく。
「吹き飛ばすのかい。」と光忠が問うと、
「ああ、ここでみんな死んだことにする。遺体の数を数えられては困るから、全部吹き飛ばすのさ。」と秀満は焔硝の箱を叩きながら言った。
「なるほど、これだけあれば、跡形もないな。」と光忠は笑った。
夜空が白み始めた。湖水に朝焼けが映える。
「実に美しい、極楽浄土とはこのようなところか。」と光忠は言う。光忠は伴侶を失ってからすっかり抹香臭くなり、出家して「長閒斎」と名乗るようになっていた。秀満はその端正な横顔を見た。何かを悟ったような表情に胸騒ぎを覚えたのだ。
一方、秀満と側近ら300人が坂本城に船で渡ったため、安土城には1千700人余の兵が残った。荒木氏綱は残された兵を引連れて、未明に安土城を出立、陸路で坂本を目指した。しかし明智勢が山崎で敗れたという噂は既に広まっていて、足軽、中間に動揺が広がっていたのだった。氏綱が瀬田の大橋を渡る頃には荒木隊は軽輩の脱走が相次ぎ1千余りに減っていた。
勝竜寺城から明智勢を追い続けた堀秀政隊は、既に先鋒の堀直政が坂本城の近くまで到達していた。秀政本隊が打出浜に出ると、瀬田大橋を渡った荒木隊と鉢合わせとなり、予期せぬ遭遇戦となったのである。
「あれは安土城の左馬助に相違ない。奴を坂本に入れるな。ここで討ち取るぞ。」と秀政は将兵を鼓舞した。襲い掛かる堀隊に対して氏綱は奮戦したが、所詮は多勢に無勢、荒木隊は瓦解し、氏綱は息子たちと共に戦死したのである。
「開門、開門せよ。オレは三沢庄兵衛だ。」と馬上の武士が言う。坂本城の大手門が開くと十数騎の騎馬武者が雪崩れ込んできた。庄兵衛は馬を下りると足早に本丸を目指した。
「弥平次、皆はどうした。」と鎧姿のまま庄兵衛は慌てた様子で部屋に入ってきた。
「大丈夫だ、もうみんな逃げた。」と秀満は言った。
「そうか、それは良かった。」というと庄兵衛は腰が抜けたように座り込んだ。「いよいよ後は総仕上げだな。」と庄兵衛は、ぽつりと言った。
「殿はどうした。」と問うと「大丈夫だ。南山城に逃がした。」
「伝五は。」と重ねて問うと「丹波に向かった。後は分からん。」
「内蔵助は。」と問うと、「分からん。行方不明だ。」
そして「伊勢与三郎は死んだ。荒木行信も殿の影武者になり死んだ。追撃して来るのは恐らく堀秀政だろう。」と庄兵衛は一気に話した。
程なく、坂本城下にその堀隊と思われる部隊が三々五々侵入してきた。
「さて、さて明智一座の千秋楽だな。」と秀満は言った。
琵琶湖の朝焼け