明智秀満 (106)

 

 

 

 秀満鉄砲隊50名長槍隊50名を集めると、近衛前久の屋敷に押し入った。邸内から悲鳴が上がるが、委細構わず梯子を懸けさせると鉄砲隊50名を屋根に上らせた。長槍隊は梯子を警固させ近づくものを排除した。

 

 「良いか、斉射はするな。一人一人狙撃しろ。この距離なら三つに一つは当たる。落ち着いて一人づつ撃ち殺せ。」と命じた。当時の火縄銃は50mならよく当たるが、100mを超えると途端に精度が落ちる。それを上から下への狙撃でカバーすれば、命中精度は上がるはずだ。

 

 狙撃部隊は安全なところから、冷静に狙撃できるので思いのほか精度は高かった。頭の上から狙撃されたのでは堪らない。御所内の兵は一人また一人と撃たれていく。元々少ない兵力が目に見えて消耗していく。頑強に正門を守っていた将兵が崩れていくのが見えた。

 さらに本能寺から利三隊が応援に入った。激闘の末、光忠隊はついに正門を破ったのである。後は数を頼みに押出すばかりである。

 「撃ち方やめぃ。」と秀満は言うと、すぐに鉄砲隊を屋根から降ろし、光忠隊の後詰に走った。

 「さすがは弥平次だ。オレたちとは格が違う。」と庄兵衛は舌を巻いた。

 

 正面が破られると、多勢に無勢、信忠隊は忽ち邸内に押し込められた。

 「私は最後まで三位中将様に付き添う。お前たちは逃げろ。」と貞勝は言うが、二人の息子は離れようとしない。

 「私は既に老齢だが、お前たちはまだ若い。ここで死ぬな。」と𠮟りつけるが、「村井家には父上を残して逃げるような男子はおりません。」と貞成が言う。

 「どいつもこいつも、年寄の言う事を聞かぬ、阿保ばかりだ。」というと目頭を押さえた。

 

 利三の義弟・斎藤利治は信忠軍の重臣として活躍していた。しかし病を得て加治田城で長期療養を余儀なくされたのである。信忠が上京したと知ると、自らも中国に出兵しようと考え、「病は癒えた。」として信忠の前に参上した。

 不幸にも乱に遭遇すると利治は二条御所で奮戦したが、明智隊邸内に侵入すると、既に事態は決したと判断した。

 「お願いでございます。私が血路を開くので、ここはお逃げください。」と言うが、信忠は頭を振り、「自分だけが逃げることはできない。」と拒絶した。説得出来ないと判断した利治は、意を決して敵中に討って出た。

 

 明智隊の伊勢貞興隊が、ついに信忠の眼前に現れた。もはやこれまで、と悟った信忠は側近の鎌田新介に「介錯せぃ、遺体は床下に隠し、敵に渡すな。」と命じた。慌てた新介が止める間もなく信忠は自刃した。新介は言われた通り介錯すると、遺体を床下に隠す。追い腹を切るべきかと逡巡したが、目前に敵が迫っていたので、血刀を振りかざし伊勢隊に切りかかっていった。

 

 利治は邸内に火を放ち、明智隊の侵入を防いだ。しかし、炎も恐れず突撃してくる部隊がいた。

 「おお、あれは義兄・利三の部隊ではないか。これは相手に不足はない。」

 利治は僅かな手勢で多勢の利三隊を迎え撃つ。

 「オレは岐阜中将家筆頭家老・斎藤利治である。ここから先へは一歩たりとも進ません。」と豪語した。

 

 家臣の注進を受けて利三は邸内深く入った。そこには力尽きた利治の遺骸が横たわっていた。利三は遺骸を丁重に扱い、光秀を通じて兄・斎藤利堯に引き渡した。利堯はそれを加治田城の菩提寺・龍福寺へ運んだ。

 こうして利治は加治田衆によって手厚く葬られたのであった。

 

 

 

村井貞勝