明智秀満 (90)

 

 

 

 安土城の奥の間の廊下に控えていた小姓供は、突然の物音と怒声に顔を見合わせた。何事かと、駆け付け「上様。」と声を懸けて襖を開けようとした。

 「何でもない、控えておれ。」と信長の大声が響き渡る。

開けかけた襖を占めると、小姓は廊下に戻った。

 「何があった。」と小姓の一人、坊丸が尋ねると、

 「上様が仁王立ちになり、惟任様が倒れておられました。」と答えた。

 

 坊丸から報告を受けたのが、森乱である。この時、森乱は17歳、信長の小姓でありながら、兼山城主でもあったのだ。

 夕刻、森乱は信長にお目通りをすると、仔細は述べず、

 「上様、惟任には、お気を付けください。」と言った。

 信長は苦笑いをして、「心配いらん。」と言ったのである。

 

 光秀は「家康謀殺」を中止するように進言した。この様やり方は天下人としての道義に反するというのだ。信長は激高し、「おのれの策であろうが。」と信長は脇息を投げつけた

 「この期に及んで何を怯えているのだ。小心者とは思っていたが、あるいは耄碌したのか。何なら家康より先に、お前を誅殺してもオレは構わないのだぞ。」と信長は凄んだ。

 光秀は平伏すると「私が間違っておりました。上様のご覚悟を知り、今は迷いなく必ずや家康を討ち果たして見せます。」というのが精一杯であった。

 「後か先かの違いに過ぎない、という訳だ。」と光秀は思った。

 

 5月14日、近江国番場まで、家康穴山梅雪がやって来た。長秀は仮殿を立てて、家康一行を出迎えたのである。また、同じ日に信忠は岐阜城から安土城に向かう途上、番場に立ち寄り、暫く休息した。長秀信忠はそこで一献を交わしたという。

 

 「中将様もお聞き及びでございますか。」と長秀が尋ねると、

 「うむ、上様からは国境を厳重にするばかりで、余計なことは一切するなと厳命されている。ともかく怪しまれるなという事だ。」と信忠は言った。

 「どうも私は不安でならぬのです。此度の策は、どうにも、ちぐはぐで我らに一体感を感じない。惟任殿にはこのような謀略は向いていないのではあるまいか。」と長秀は不安を口にした。

 「それは大丈夫でございます。」と信忠は確信をもって言う。

 「私は若い頃、惟任殿から多くの教えを受けました。あの方は何をやらせてもそつがなく、実に立派な方です。」と自信たっぷり断言した。

 

 

 森乱(森蘭丸)