明智秀満 (89)
光秀を見送った後、長秀は再び信長を訪ねた。
「惟任殿は生真面目なので、あまりおからかいになるのは如何なものかと存じます。」と長秀は珍しく苦言を言う。
「からかってなどおらん。オレは何も朝廷を全て潰すとは言ってはおらぬ。オレは世俗の皇帝と宗教上の皇帝を並立させ、互いに掟を定めるべきだと言っている。今のままでは政治を行う者が朝廷の秩序の下に組み込まれてしまう。それではダメだと言っているのだ。」と信長は言う。
「海外派兵はどうなさるおつもりですか。」と長秀が重ねて問うと、
「何も、唐天竺と戦をするとは言っていない。むしろ南洋に海路を開くことを考えている。五郎左、考えてもみよ。遥か地球の裏側から南蛮人どもは船でやって来て、マカオやルソンに植民している。原住民を牛馬のごとく使役しているのだぞ。それを放置してよいと思うか。このままでは何れは日本人も奴隷にされて、売りさばかれるぞ。
オレは九州を平らげたら琉球に行く。あそこは交易の要地だ。そこからルソンや台湾、越南に出る。2~3千人の日本人兵を派遣して日本人町を作るのだ。そこを拠点に南洋一円に巨大な貿易航路を作る。南蛮人どもは遠いので、我らに対抗できるような大量の兵は送れまい。わが国には大量の武士がいる。奴らは戦乱が終われば仕事がない。やがて一揆を起こし、社会は不安定となる。だから海外に新しい仕事を与えるのだ。
ただ、問題は船だ。我が国はまだ、あのような巨大な帆船は作れない。オレが南蛮人と付き合うのは、進んだ技術を奪い、奴らをこの地域から排除するためだ。いいか、五郎左、これからは国内で相争っている場合ではない。強力な国家を築き、南蛮・紅毛人と対等に渡り合わなければ、日ノ本と言う国そのものがなくなってしまうという事だ。」と信長は言った。
「信長公記」
『五月十四日、江州の内、番場まで、家康公、穴山梅雪御出でなり。惟住五郎左衛門、番場に仮殿を立て置き、雑掌を構え、一宿振舞申さるる。同日に、 三位中将信忠卿御上洛なされ、番場御立ち寄り、暫時御休息のところ、惟住五郎左衛門、一献進上侯なり。その日、安土まで御通侯ひき。』
家康に同行するのは30余名の家臣団と中間・小者ばかりで、武装した兵士はいない。如何に畿内、東海の支配が安定しているとはいえ、ほぼ丸腰である。
「手筈通りいっているのだろうな。」と家康が言うと、
「はい、半蔵に命じて500名の伊賀組・甲賀組を先乗り、同行、後備3班に分けております。先乗組はこれから通過する道の安全を確保し、同行組は遠目から護衛します。後備組は後方からの奇襲に備えさせます。」と忠次が答えた。
「ともかく、目立つな。あくまでも我らは上様を信頼し、全てを委ねている、という姿勢で臨む。分かったか。」と家康が言うと、家臣たちは静かに頷いた。その表情は死地に向かう兵士の顔であった。
南蛮船
