明智秀満 (86)
「信長公記」
『阿波国、神戸三七 御拝領の事
四月廿一日、安土に御帰陣。さる程、四国阿波国、神戸三七信孝へ参らせられ侯につきて御人数御催なさる。
五月十一日、住吉に至りて御参陣。四国へ渡海の舟ども仰せ付けられ、其の御用意半ばに候。』
「いやぁ、さすがに疲れたわい。無事に安土に帰れて何よりだ。」と信長は上機嫌で言う。
ここは安土城の奥の間、信長、長秀、光秀の三人しかいない。一益は関東御取次となり、厩橋にいるのだ。
「左近がなぁ。所領を返上して京で隠居したいとか言い出して、宥めるのに苦労した。三年、できれば五年頑張ってくれとな、申し訳ないが代わりがいないのだ。」と信長は言う。光秀は気の毒な事である、と思う。
「まずは土佐の件であるが、十兵衛には何かあるか。」
「はっ、石谷が申すには、元親は甲斐征伐を見て、内心降伏したいと思っているようですが、国内を纏めるのに時間がかかっていると申しております。」
「遅いは。」と信長が言い放つ。
「三七が兵力を纏めれば、すぐにでも四国征伐に入るぞ。」と言う。
「その件でございますが、神戸侍従様は所領も少なく、動員に大変ご苦労されています。」と長秀は言う。
甲斐征伐の後始末と、北条、徳川の抑えとして、信忠軍は東国から動けない。北陸の柴田勢も上杉との戦闘は激しさを増していて、他所に兵を割ける余裕はない。中国の羽柴勢は毛利と備中で争っており、援軍が欲しいほどだ。
「畿内軍からいくらか応援いただきたいと存じます。」と長秀は言う。
「それはならん、惟任らには、まだ大切な仕事があるし、毛利が本格参戦してくれば、織田本軍の先鋒として、まず毛利攻めに入ってもらわねばならない。そもそも人数を集めるのも才覚である。一体、どれほど集められたのだ。」と信長は言う。
「神戸侍従様は所領の北伊勢二郡で16歳から60歳に至る壮丁を動員し尽くした上で、近隣の地侍を雇い入れ、何とか6千人を集めなされました。これに某や蜂屋殿、菅谷殿の手勢で5千人。そして津田七兵衛殿の2千人でございましょうか。」と長秀は答えた。
「ほう、思ったより集めたな。三七は何と言っている。」
「はっ、先鋒で戦っている三好勢を除いて、何としても本隊1万5千は超えたいと言っています。」と長秀は言った。
「さて十兵衛、どうする。」と信長は光秀に尋ねた。
「はっ、まずは住吉に出て水軍を集めましょう。水軍の中にも陸戦の部隊もおります。後は、我が所領である丹波及び直轄地である山城からも庄兵衛に申し付け、兵士と人足を徴募させましょう。当家直属の者でなければ、中国攻めには支障が出ないものと思われます。」と言った。
「そのようにしていただけると有り難い。」と長秀が言うと、
「相分かった、与一郎にも協力させろ。住吉にはオレが直接出向く。ただ、良いか十兵衛。四国征伐軍に弓一本でも引いたら、元親の首はないと厳に申し付けよ。」と信長は言った。
武田が滅んだことで、信長の心境は大きく変わったのである。もはや、信長に逆らうものは、誰であれ、天下人に仇なすものとして滅ぼすことに躊躇はない。いや、むしろ滅ぼしたいのである。毛利も北条も徳川も、誰であれ織田の世を脅かす全ての者を滅ぼしたいのであった。
神戸侍従信孝
