明智秀満 (80)

 

 

 

「信長公記」

 

 『大宮は要害然るべきにつきて、社内に御座所、一夜の御陣宿として、金銀を鏤め、それぞれの御普請美々しく仰せ付けられ、四方に諸陣の木屋木屋懸けおき、御馳走斜ならず。爰にて、

 一、御脇差作吉光、一、御長刀作一文字、一、御馬、黒駮、以上、家康卿へ進めらる。いずれも御秘蔵の御道具なり。

 四月十三日、大宮を払暁に立たせられ、浮島ヶ原より足高山左に御覧じ、富士川乗り越させられ、神原に御茶屋構え、一献進上侯なり。暫く御馬を立てられ、知人に吹上げの松、六本松、和歌の宮の子細、御尋ねなされ、向地は伊豆浦、目羅ヶ崎、連々きこし召し及ばれ侯。萬国寺、よしはら、三枚橋、かちようめん、天神川、伊豆相模境目にこれあり。深沢の城、何れも尋ねさがされ、神原の浜辺を由井て磯部の浪に袖ぬれて、清見が関、ここに興津の白波や、田子の浦浜三保が崎、いづれも、三ほの松原や羽衣の松、久堅の四海納まり、長閑にて、名所名所に御心を付けられ、江尻の南山の打ち越し、久能の城御尋ねなされ、其の日は、江尻の城に御泊。』

 

 「お前たちはそう言うが、実際、駿河を拝領したのだから、上様に領内を案内するのも仕方あるまい。」と家康が言うと、

 「いやいや、どう考えても只の物見遊山ではありますまい。下心が丸見えではありませんか。」と榊原康政は反論する。

 「そもそも国境や川や城ばかり見ているではないか。城下に忍び込んでいるものもいると聞く。」と本多忠勝も不満気である。

 「しかしながら、それを断れば逆心ありと上げ足を取られかねない。殿も百も承知なのだ。ここは馬鹿に徹して、お祭り騒ぎに付き合うしかあるまい。弥八は何か掴んでおるか。」と酒井忠次が尋ねると、

 「この度は、惟任が上様から離れず、忠興、順慶がこれに従っております。内情を探っているのは惟任の手の者かと思われますので、半蔵に命じ伊賀者に監視させております。」と本多正信は言った。

 「早まって、殺すなよ。」と家康は念を押す。

 「この度、惟任殿は上様の護衛を兼ねているようだ。それならば、万一に備え、先乗りして情勢を探るのは当然だ。それに甲府には岐阜中将が大軍を抱えておられる。いつ南下するかも知れん。良いか、迂闊なことはできないぞ。今、注視すべきは甲斐よ。不審な動きがないか常に見張れ。甲斐・信濃の者は上様に隠して保護している。その者が見つからぬよう細心の注意を払え。それ以外の家臣は、ひたすら歓喜し、上様をお悦び致せ。」と家康は言った。

 

 一方、明智家でも情報交換が行われている。

 「やりにくいな。聞き込み組は徹頭徹尾、監視されている。」と伝五が言うと

 「それはそれで、囮になってくれるので、こちらとしては助かる。城郭はかなり詳しく調べたぞ。」と秀満が満足そうに言う。

 「兵站は河川が多く、容易ではない。特に大きな川が北から南に流れて、領国が分断されているから、補給を確保するには水軍が必要だ。それに、ここを本格侵攻するには、畿内からだけではなく、甲信からも南下する必要があるだろう。」と庄兵衛が言った。