明智秀満 ㊺

 

 

 

「甲陽軍鑑」

 

 『天正九年辛巳年に典厩、長坂長閑、跡部大炊介、大龍寺の鱗岳和尚四人の分別をもつて、信玄公の御時御取候、信長人質織田の御坊を典厩のむこにと約束有りて、信長へ御辺候也、信長返事にいかにもおほへいに、内々迎ひをつかわすべき所に、其方より差上らるる儀能き分別也、武田四郎殿へと月付の下、日付の通りに結句少しさげて返事なるは武田滅却のしるしなり。』

 

 当時、信長は完全に勝頼を見下していた。

 「現在、苗木(遠山)が、木曽と接触しております。感触は悪くありませんが、何分、母君と嫡男そして一人娘が甲府に人質に取られていて、さすがに見殺しにはできないと申しております。」と信忠が言った。

 「近頃、武田では相次ぐ遠征新城建立で負担が大きく、配下の国衆は不満がたまっております。ただ勝頼の周囲は典厩、長閑、跡部等の佞臣によって固められており、多くの家臣は不満があっても口を閉ざしているそうです。」と一益は武田の内情を説明した。

 「ふむ、後詰も送れぬ腰抜けが、人質を取っている国人衆には強気なのであろう。…して、どうする。」と信長は光秀に尋ねた。

 

 「まずは、御坊丸様を取り返しましょう。」と光秀は言う。

 「そんなことができるのか。」と信長は身を乗り出した。御坊丸は岩村城を秋山虎繁に奪われた時に捕らえられ、甲府に送られた人質である。信長はこの時の恨みを忘れず、後に虎繁とおつやの方を逆さ磔にしている。

 「常識的に考えれば貴重な人質をむざむざ戻す手はありません。しかし、御坊丸様を戻せば講和が進むとしたなら、どうでしょう。」

 「なるほど、御坊丸様が囚われていることが講和の障害になっていると、信じ込ませればよいのか。」と一益は相槌を打つ。

 「どうせ武田は滅ぼすのだ。少々、騙したところで問題はなかろう。」と信長は言った。

 

 「しかし相手が誠意を見せているのに一方的に攻めるのでは大義名分が立ちますまい。」と長秀が懸念を示す。

 「大義名分は朝廷からいただきましょう。織田家は既に公権力です。上様の命令に逆らうは即ち朝敵です。」と光秀は言う。

 「そんなことができるのか。」と長秀は驚いた。

 光秀は頷くと、「まずは調略を進め、武田家の国人衆を懐柔します。そして朝廷から東夷討伐の詔を出していただき、織田家は官軍として朝敵である東夷武田を討ちます。すると武田を裏切った国人衆は朝廷に従ったことになり、裏切り者のそしりを免れます。」と光秀は言った。

 「なるほど、これで武田家は裏切り者が続出するわけか。」と長秀が感心する。

 

 「うむ、それでよいだろう。岐阜は引き続き信濃調略を進めよ。そして左近は相模と連絡を取りあえ。加えて三河にも駿河調略を命じること。そして十兵衛は朝廷工作を進めろ。五郎左は右筆らと共に勝頼を騙して御坊丸を奪い返せ。」と信長は命じた。

 

 「東夷武田を討つか、まさに征夷大将軍だな。」と光秀は心の中で苦笑いをした。

 

 

『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より跡部大炊助勝資