明智秀満 ㊳
「明智光秀家中軍法」(御霊神社文書)
『一、 或動或陣替之時号陣取ぬけかけに遣士卒事、堅令停止訖、至其所見斗可相定事、但兼而より申付子細あらハ可仁着事、付陣払、禁制事、』
行軍の際あるいは陣替えの際に、「陣取り」として先に士卒を遣わすことは禁止する。ただし、事前に子細を取り決めていたものは構わない。なお陣払いは禁制である。
仲間同士で陣の場所を取り合うことを禁止したものであろう。要するに先陣争いで、事前の申し合わせがないものが、勝手に抜け駆けすることを禁じたものであろう。
『陣夫荷物軽重京都仕度之器物三斗、但遼遠之夫役においてハ可為弐斗五升、其糧一人付て一日八合宛従領主可下行事』
陣夫の食糧は、京都で作られた升で三斗とする。ただし、遥か遠方に向かう時は二斗五升として、一日八合を領主から与える。
この時代動員された兵は3日分の食糧は自前で用意することになっていた。分かりにくいので1合を米300gとして計算してみよう。すると1升は10合なので3000g、1斗は10升なので30000g、すなわち3斗で90Kgとなる。
米90Kgを背負って歩くのは、さすがに無理であろうから、恐らく小荷駄奉行に供出したのであろう。遠方の場合は、2斗5升の他に、一日8合の食糧が支給されるという。茶碗で16杯分である。一般に食料は1日一人3合と言われているので、一人分にしては多いようである。騎馬武者一人には最低でも長柄の侍と数人の荷物持ちが付くので、あるいは中間小者ら非戦闘員は員数には含まないのかもしれない。
『軍役人数百石ニ六人多少可准之事』
軍役は100石について6人とする。「多少可准之事」は難しい。漢文で訳すと「6人はどのくらい正確か」と言う意味になる。疑問形では不自然なので、字のニュアンスで考えると「これに準じていれば多少は可とする」と読みたい。以下は軍役の詳細である。
・100~150石 兜1名 馬1頭 指物1本 鑓1本
・150~200石 兜1名 馬1頭 指物1本 鑓2本
・200~300石 兜1名 馬1頭 指物2本 鑓2本
・300~400石 兜1名 馬1頭 指物3本 鑓3本 幟1本 鉄砲1丁
・400~500石 兜1名 馬1頭 指物4本 鑓4本 幟1本 鉄砲1丁
・500~600石 兜2名 馬2頭 指物5本 鑓5本 幟1本 鉄砲2丁
・600~700石 兜2名 馬2頭 指物6本 鑓6本 幟1本 鉄砲3丁
・700~800石 兜3名 馬3頭 指物7本 鑓7本 幟1本 鉄砲3丁
・800~900石 兜4名 馬4頭 指物8本 鑓8本 幟1本 鉄砲4丁
・1000石 兜4名 馬5頭 指物10本 鑓10本 幟2本 鉄砲5丁
ただし馬乗り1名は二人分に準ずるものとする。
例えば450石の知行の侍の軍役は24人が必要で、内訳は騎馬の侍が1人、指物4本、鑓4本、幟1本、鉄砲1丁を準備して、食料として216Kgの米が必要になる。米俵にして約3.6表である。ほかに荷物持ちの小者が多数いるので、行軍も実に大人数である。
