明智秀満 ㉔

 

 

「信長公記」

 

 

 『一 丹波国 日向守 働き、天下の面目をほどこし侯。次、 羽柴藤吉郎 、数ヶ国、比類無し。然して、 池田勝三郎 小身といい、ほどなく花熊 申し付け、これまた天下の覚えを取る。ここを以て我心を発し、一廉の働きこれあるべき事

  一 柴田修理亮 、右の働きに及び、一国を存知ながら、天下の取沙汰 迷惑に付きて、この春、賀州に至りて一国平均申し付くる事

  一 武篇道、ふがい無きにおいては、属託を以て調略をも仕り、相たらはぬ所をば、我等に聞かせ相済むのところ、5ヶ年 1度も申し越さざる儀、油断、曲事の事(以下略)』

 

 ③   光秀丹波を攻略、秀吉は数カ国を相手に働いている。池田恒興は小身(少禄で重臣ではない)でありながら花隈城を陥落させた。

 ④   勝家もこれを見て負けてはならぬと加賀を平定した。

 ⑤   武力に劣るなら調略も出来るであろう。知恵が足りないなら何故相談に来ない。5年間何の相談もないとは油断であり、許されざることである。

 ⑥   与力の保田の書状を連判で信長に送ってきたのは言い訳であり、保身のためであろう。

 ⑦   信盛は家中でも特別な存在で、三河・尾張・近江・大和・河内・和泉・紀伊と小身の者ばかりとはいえ七ヶ国から与力をあたえられている。

 ⑧   水野信元死後の刈谷を与えたのに、家臣も増やさず、旧臣を追放してしまった。その知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているとは言語道断である。

 ⑨   山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。これも先の刈谷の件と同じである。

 ⑩   家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろう。けちくさく溜め込むから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。

 ⑪   朝倉を討ち取った時、追撃に後れをとったにもかかわらず、自分の正当性を吹聴し、席を蹴って立った。これによって信長は面目を失った。その口ほどもなく、ここに在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である。

 ⑫   信栄の罪状を書き並べればきりがない。

 ⑬  つまり親子共々欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。いい加減で武者の道を心得ていない。

 ⑭   与力ばかり使って軍役を勤めさせ、自分で働かないから家臣を召抱えず。領地を無駄にし、卑怯な事をしているのだ。

 ⑮   信盛の与力や家臣たちは常に顔色を窺い分別を自慢し美しく振舞いながら、その実、綿の中に針を隠し立てたような陰湿な行いをするのでこの様になった。

 ⑯   信長に30年も奉公していながら、「さすがは信盛だ。」と言われるような働きは一度もない。

 ⑰   三方ヶ原へ援軍を使わした時、親族・譜代衆が討死でもしていれば、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしている。その思慮無きこと紛れもない。

 ⑱   こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。

 ⑲   親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し赦しを乞うのが当然であろう。

 

 このように数年のうち、ひとかどの働きなく、未練の子細はこのたびの保田の件で思い当たった。そもそも天下人である信長に口答えするのはお前から始まったのだ。その償いに最後の二か条を実行してみせよ。承知しなければ二度と天下が許すことはないであろう。

 

佐久間信盛