明智秀満 ⑫
「信長公記」
『荒木返歌
思きや あまのかけ橋ふみならし なにはの 花も夢ならんとは』
さて、この返歌は色々と解釈が分かれるようだ。私は素直に「二人で天のかけ橋を渡ろうと思って、ここに来たのに、浪花の花も 夢になってしまうとは思わなかった。」と理解したい。
つまり、包囲された有岡城を尼崎から救援に行くつもりであった、というのだろう。ところが内通者がして、その策を織田方に知られてしまい、反攻策は夢のように消えたのである。
しかしながら、村重が本気で尼崎で再起が図れると考えていたとは到底思えないのだ。既に状況が絶望的に悪いことは村重自身が一番良く分かっていたはずである。この苦しさから逃れるために、自分で自分を騙し、有岡城から逃げ出したのであろう。所詮、村重とはその程度の男であったという事だ。
信長や秀満が予想したとおり、村重は両城の引き渡しを拒否した。荒木家の妻子・家臣は、再び捨てられたのである。もはやいい訳もないであろう。
『十二月朔日、丹波より居ゑ上せ、進上。
さる程に、伊丹の城に女どもの警固として、吹田、泊々部、池田和泉、両三人残し置き候ところに、城中の様躰、何と見究め申し候やらん、池田和泉、一首をつらね、
露の身の 消えても心残りなく 行くなにとかならん みとり子の末
と、よみ置き、其の後、鉄砲に薬をこみ、おのれのあたまを打ちくだき、自害仕り候。弥、女房ども、心も心ならず、尼崎よりの迎へを、おそしはやしと、相待ち、哀れなる有様、中々申すばかりも是なし。』
有岡城に留め置かれた池田和泉は城中の有様に絶望し、辞世の句を読むと鉄砲で頭を撃ち貫いた。女房達は恐怖に震え上がり、尼崎から良い知らせが来ぬものかと、今か今かと待ち侘びている。その姿が余りにも哀れで警備の者も見ていられなかった。
『今度、尼崎・はなくま渡り進上申さず、妻子を捨て、我が身一人宛助くるの由、前代未聞の仕立てなり。余多の妻子ども、此の趣承り、是れ夢かうつつかや。恩愛の別れの悲しさ今更たとへん方もなし。さて、如何がと歎き、或いは、おさあひ子をいだき、或いは、懐妊したる人もあり。もだへこがれ、声もおしまず泣き悲しむ有様は、目も当てられぬ次第なり。たけき武士も、さすが岩木ならねば、皆、なみだをながさぬ者はなし。』
尼崎城に出向いた荒木久左衛門は、村重を説得したが、両城の譲渡は拒絶される。城内には雑賀衆をはじめ、本願寺、毛利氏の兵が多くいて、既に村重の一存で物事が決められる状況ではなかったのである。すると驚いたことに説得に出向いた久左衛門たちも尼崎城から逃亡し、行方知れずとなったのである。
このことを知ると女房達の悲しみは計り知れなかった。幼児を抱くもの、懐妊しているものもいて、皆声を上げて泣き叫ぶのであった。
警固している兵士たちも、この様子をみるに、余りの哀れさに涙を禁じ得なかったという。
現在の尼崎城(当時の城とは場所が異なる)
