三宅弥平次 (83)
「信長公記」
『十月廿一日、荒木摂津守、逆心を企つるの由、方々より言上候。不実におぼしめされ、何篇の不足候や、存分を申上げ候はば、仰せ付けらるべき趣にて、宮内卿法印、維任日向守、万見仙千代を以て仰せ遣わさるるのところ、少しも野心御座なきの通り申上げ候。ご祝着なされ、御人質として、御袋様差し上げられ、別儀なく候はば、出仕候へと、御諚候と雖も、謀叛をかまへ候の間、不参候。』
丹波から近江に戻ると光秀は、その足で信長のもとに向かった。安土城の天主は既に棟上げして、山頂に築かれた骨組みは、訪れる人を威圧するような高さであった。掃き清められた城内は檜の香りで満ち溢れている。光秀が本丸御殿の広間に入ると、既に重臣たちが、ざわざわと囁きあっていた。
やがて、信盛と長秀を伴って信長が上座に付いた。
「皆もすでに聞き及んでおろうが、どうにも訳が分からん。」といつにも増して甲高い声で信長が言う。怒りというよりは、得心がいかないのである。
「あいつは何が不満なのだ、摂津一国では足らんとでもいうのか。何か事情があるのか、分かるやつはいるか。」と信長は睥睨した。しかし、誰も答える者はいなかった。
「十兵衛、お前は親戚だろう。何か心当たりはあるか。」と重ねて問う。
光秀は6月の播磨出兵において秀吉の本陣で村重に会っている。
「はっ、某、6月に摂津守に会いましたが、普段と変わらず、何ら疑念は感じられませんでした。」と光秀が言うと、信長は頷き、
「左近はどう思う。」と言う。
「はて、某も全く心当たりがありません。」と一益が言う。
信長は誰に言うでもなく、「猿に言うても埒もない。」と苦々しく云い捨てる。破竹の勢いで播磨平定を果たした秀吉であったが、ここにきて失態続きで、ついには与力に入った武将にまで背かれている。
原因が分からなければ対策も立てられない。信長はまず糾問の使者を立てることにした。
「いったい何が不満なのか、よく話を聞け。野心がなく、話が尤もならば、此度は人質を出せば許す、と伝えよ。」と言った。
糾問の使者として明智光秀、松井友閑、万見重元を有岡城に派遣することにした。
光秀は坂本城に戻ると丹波から警護隊長として伝五を呼び寄せた。
「どれほどお連れになりますか。」と長閑斎が言う。
「うむ、戦をするわけではないから50人程度か。」と光秀が言うと、
「鉄砲隊はどうなさいますか。」と心配そうに長閑斎が言う。
「目立たぬよう十丁ぐらいにしよう。そう心配するな。よもや、いきなり撃たれることもなかろう。」と光秀は言う。
村重のもとには倫子がいる。光秀は何としても、ことを穏便に済ませたいのである。
伊丹荒木軍記