三宅弥平次 (75)

 

 

 天正5年(1577年)光秀の長女・倫子荒木村重の嫡男・村次のもとへ嫁いだ。正確な生年は分かっていないが、二人とも19歳ほどであったようだ。村次は程なく尼崎城主となった。

 弥平次は幼少の頃から倫子を知っているので、何やら不思議な気分である。

 「朝倉家に仕えていた頃、遊び相手をしてあげた幼女が、もう嫁に行くのか、道理で俺も年を取るはずだ。」と思う。

 いやいや、弥平次も既に40歳を超えたのだ。長閑斎でなくても「いい加減にしろ。」と言いたくなるだろう。もっとも長閑斎も最近は諦めたのか、あまり口やかましく言わなくなった。

 妻木広忠煕子を亡くしたばかりで、さらに最愛の孫の嫁入りには意気消沈である。遠く離れることが寂しくて仕方ないのだ。

 「お気持ちは分かりますが、もう19歳なのでいつまでも嫁に行かないのも困ります。」と光秀は言う。しかしこの時代の結婚は、押し並べて政略結婚である。荒木村重と縁戚になることで織田家の近畿軍の結束を図る意味がある。

 

 さて、この結婚に慌てたのが次女(氏名不詳)である。自分もいずれ知らないところに嫁に行くのかと思うと長年秘めていた思いを光秀に告げたのであった。

 「私は次右衛門様に嫁ぎたい。」

 さて、先も書いたように武家の姫君は政略結婚が当然の時代である。光忠(次右衛門)は身内ではあるが、光秀の家臣である。

 「しかし家臣に嫁に行くのはどうしたものか。」と光秀は思い悩む。

 「いいではないか、次右衛門なら気心も知れているし、一人ぐらい側にいた方が何かといい。」と広忠は大賛成である。

 「まぁ長年、思い焦がれていたのなら引き裂くわけにもいくまい。」と光秀は了承したのであった。

 

 「なあ、弥平次。色男っていうのは幸せ者だよな。向こうから、嫁に来たいと言ってくれる。」とにやにやして伝五が言う。

 「あんな三十過ぎのおっさんの何がいいのやら。」と弥平次が言うと、座は大笑いになる。

 「僻むな、僻むな。お前にだってそのうちに可愛いお嫁さんが来る。」と庄兵衛が肩を叩いて弥平次を慰める。

 「さて、弥平次にそんな日が来るかなあ。さすがにもう年上は厳しいぞ。」と伝五が言う。

 

 別に結婚したくない訳ではない。身の回りの世話を焼く女人は確かにいた。当時、弥平次は足軽頭の徒侍で、女も身分の低い年上の女性であった。結婚という程のものではなかったのだ。そもそも庶民には戸籍もないので、出会って別れても何も残らない。たまたま子供でもできれば「家庭」というものを作ったかも知れない。その女性とは結局、何事もなく分かれたのだ。弥平次が家を留守にすることが多くなり、いつのまにか疎遠となった。越前を出てからはその消息も知らない。またどこかで知らない誰かと暮らしているのだろう。

 

 目まぐるしく変わる状況に様々なことを置き去りにしてきた。忘れてはいけないことも、生きるために忘れてきたのだ。時折、胸に激しい感情が蘇ることがある。去っていった人に無性に会いたいと思うことがある。

 しかし弥平次は思うのだ。過去は所詮、過去でしかない。過去に縛られて苦しむことは愚かなことだ。お前に大切なものは、もう戻れない過去ではない。「生きている今」なのだ。人は今しか生きられないからである。

 

「太平記英雄伝 廿七 荒儀摂津守村重」