明智物語 ⑧
『しかし、光秀がふと世間を見ると、信長公は武力をたのみ、仁義の道に暗く腹黒い人物なので、朝倉、武田勝頼を退治した後に寵臣や安藤守就などを追放した。(中略)信長公も天下統一を果たせば、忠功をなしても光秀などの功臣は安穏とはしていられず、危うい状態であることを悟った。』
明智物語は定政の活躍から信長幕下における光秀の出世話に移り、本能寺の変に至る。この項は恐らく口述者の記憶ではなく、記述者が世間の伝聞を書いたのであろう。謀反の動機としては自身の行く末に対する不安であり、平凡であるだけ説得力がある。余談だが、私は世間で流行している「黒幕説」には興味がない。そもそも「光秀は誰かのパペットであったか?」ということであり、答えは否だ。織田政権の実質No2には色々甘い誘いがあっただろう。しかし最後に決断したのは光秀であり、よってすべての責任は光秀にある。光秀にとってプレイヤーとして使えるはずの駒は色々あっただろうが、彼を操れる黒幕など始めからいないのである。
話がそれた。いよいよ明智物語のクライマックスである。最後の主人公は定政でも光秀でもなく、意外にも明智左馬助である。
『その間に、左馬助は坂本城に駆け付けて光秀の子を殺し、天守に火をかけ無常の煙となった。左馬助の遺骸は賊軍の遺骸のなかで朽ちたが、名を留め、青雲九天の上に上がった。』
左馬助とは明智秀満のことである。忠臣として秀満は多くの人に感動を呼んだようだ。私としては主君の子や自らの妻子を殺して天守に火をかけて自死することが何故、そんなに多くの武士の感動を生んだのか良く分からない。そもそも私は明智秀満の最期には異論がある。ただこの話は、残念ながらまだまだ先の話である。
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「明智物語 編」はこれで終わりです。
次回からは「美濃国諸旧記」の明智家の内容について読んでみます。