明智物語 ①

 

 

 

 「明智物語」とは慶長19年(1614年)に森秀利によって口述された文献である。関ケ原の戦いが終わってからわずか14年しか経っていない。有名な「明智軍記」が元禄時代(1688年~1702年)に書かれたと言われているので80年ほど早い。さらに「明智軍記」が軍記物、つまり小説であるのに「明智物語」は若い頃、美濃明智家に仕えた人物の口述記録である。

 こうして書くと「明智物語」が信ぴょう性が高く貴重な記録が数多く出てきそうなものだが、実はそうでもない。それにはこんな事情がある。まず森秀利が口述した時、既に82歳であった。年齢により衰えがみられ、朝聞いたことも夕方には忘れる有様だったという。しかも彼の話し方は早くて弱々しかったので10の内5~6は書き留めることはできなかったらしい。

 私が思うに内容に誤りが多いのは、語り手が高齢のため思い込みや勘違い、実体験と伝聞が混在していること、そして聞き手にも十分な知識がなく言われたことをよく理解せず、話を勝手に簡潔化しているからではないかと思う。彼が何を伝えたかったかというと「土岐(明智)定明の最期」であり「土岐定政による土岐(明智)家の再興」である。彼にとって明智家とは美濃明智氏であり、光秀に対してはどこか他人事として冷淡である。私の印象としては「明智物語」としたため光秀についても語らねばならなかったに過ぎなかったのであろう。よって光秀に関しては伝聞が中心で誤伝が多く見るべきものは余りない。

 ただ、ここでは美濃明智氏の滅亡と妻木氏の成立をテーマとしたいので、「明智物語」は格好の史料である。まずは本文に当たり誤伝と思われるところは果敢に推理してみよう。