大阪に行ったときの写真です。

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昼食はナンを食べました。
カレーは日替わりカレーのかぼちゃカレー。

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トンネルです。黄色の光が気に入ったので。


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都会の駅はとっても広い。
大阪らしい写真もあるにはあるんです。通天閣とか。
でも載せません。

--オマケ--
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一緒にいった人。



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クリックするとマサコさんがアナタの所に.


エヌエイチケーだかなんだかの番組で見たことがある。





よくある、生き物の生態をスローモーションを駆使した





高画質な映像で紹介していくというものだ。





そのなかで、落ち着いた女性の声が説明していた。





鉄砲ウオは、狙った獲物への距離を計算して水を噴射する。





これを聞いて僕は感心した。





魚のあの無感情な顔に賢さは感じたことはないのに、





鉄砲ウオは距離を計算するという高度なことをしているのだ。





しかし、僕はこのとき、





鉄砲ウオが瞬時にグラフと数式を使って距離を割り出す光景を





「計算」という言葉から無意識に連想していた。





よく考えてみれば、鉄砲ウオの距離の計算と同じようなことは





我々人間が遥かに高度に普段からやっているのだ。





立っているときの重心、ドアノブを持つときの指の動き、モノを食べるときの舌、





何から何まで「計算」しているのである。





卓球選手なんて時速百キロ以上の玉を扱う全ての動きをリアルタイムで計算している。





とにかくよく考えてみれば我々の脳は理性ではイメージしきれないほどに凄い。










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文章を読むときの脳の働きがわかるか。



写真を撮るときのピースサインを広めたのは一体誰なのか。

昔、テレビで「日本で最初にピースサインで写真に写ったひと」

というのが特集されているのを見たことがある。

その女性はとっさに、無意識にピースサインが出たそうだ。

世界で初めてピースサインをしたひともおそらくそんなところだろう。

そこまではよろしい。自己表現だ。素晴らしい。

しかし、それを皆さんごぞってまねし始めたのは一体どういうことだ。

人の写った写真といえばコチラを向いてピースサインの

どれもこれも同じようなものばかりだ。規格化されているとさえ言える。

横並びになって、見晴らしのいい場所で、作り笑顔で。

僕は憤っている。

『はい、写真とるからこっち向いてー、撮るよー、ハイチーズ!』

果たしてこれでいいのか。きっとダメだ。僕はそう思う。

わざわざ気持ちを静めてから撮るものじゃないだろう。

そのピースサインは、一瞬を切り取れるカメラの良さを殺し、

写った人間の個性を殺し、沸き立つ感情を殺す。

僕が今までいいと思った人物の写真の中で、

ピースしたものはひとつもない。

一体誰だ、ピースサインなんてもの広めたのは。


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ピースサイン、ダメ、絶対。