【L-2】
所長室に向かう僕たちに向けられるのは好奇以外の色を含まない視線。
ただでさえささくれだった神経には突き刺さる。
隣を歩いているヒチョルがいつもとなんら変わらないのにちょっと関心すらしてしまった。
「ジョンス、すぐに行かなきゃダメなのか?」
ふいに足を止めたヒチョルに訊ねられた。
「手が空いたらでいいっていわれたから緊急ではないけど、急ぐに越したことはないよ」
「じゃあ、ちょっと休憩させろ」
「は?」
「今日はもう帰れると思ってたんだ。それなのに…。コーヒーくらい飲んだところで罰は当たりはしないだろ」
肩を竦めてそう言うヒチョルを見て、こっちの肩から力が抜けた。
彼はコーヒーが飲みたいわけじゃない。
多分、これは僕のための時間だ。
確かに、これだけ憤ってたんじゃ冷静に話なんて聞けやしない。
ヒチョルは人の場合に限ってそういう見極めは上手い。
自分の事は全然だけど。
食堂の端っこのテーブルを陣取って、ヒチョルがお世辞にも美味しいとは言えない自動販売機のコーヒーのカップを僕の前に置く。
ミルクと砂糖を多めにしたそれを啜ると、前に座った彼もブラックのままで口にした。
「あれは、キュヒョナが気になって仕方ないだけだろ」
「何が気に入らないんだか…」
「逆だよ。逆」
「…気にかけて欲しい小学生発想?」
「それとも違う。俺はさ、なんとなく中身が似てるから解る気はするんだよな」
「どこが?ヒチョラとは似てないよ」
ふぅ、と小さく息を吐きだしたヒチョルは窓の外に視線を向ける。
「似てるし、似てない。考え方は似てるけど最終的な判断と行動は似てない」
「よくわからないな」
「お前は分からなくていいんだよ。そういうところがお前らしさだ」
ヒチョルは面白そうにくくっと笑った。
「ここにいる奴らは学生時代は人よりも優れたプログラミング能力だったり研究だったりで自信を持って来る奴が多いだろ?俺も実際そうだったし」
「確かにね」
意気揚々と入所したまではいい。
好きでやってただけの学生時代とは違って要求されたものを作り出す能力はここで身に着けていかなくてはならない。
学生時代の勉強だけではどうにもならないことを嫌というほど知ることになる。
ついてこれない者は早々に退所して、残っている僕たちは辛いこともあるけれど好きという気持ちだけで新しいことを覚え考え、努力を続けてここにいる。
それはもちろん得る喜びだって大きなものだってことも知っているからだ。
「でも、それはみんな同じだよ」
「俺達とあいつには大きな違いがあるんだよ」
「…何?」
「あいつの親がここの所長だってことだ。ちゃんとした能力を持って入所したところで『コネ』だって言われる。でも最初は誰だってここで働いてるやつについてくるのは大変だし自信を無くすだろ?それでもあいつにはそれすら許されない『コネ』だって言われないように認めてもらうには俺達よりも努力しなきゃならないのに、なかなか認められない。自信喪失の状態で自分はこの場では奇異な存在だと考える時に、キュヒョナに魅かれたとしたら、お前だったらどうする?」
「どうする…って…とりあえず遠くで見てるか話しかけるかするよ」
「そこが俺達とお前の違い」
手の中でくしゃりと紙コップをつぶして、手近なゴミ箱に投げ込んだヒチョルは僕をまっすぐにみる。
「俺は更に奇異な存在になるって、怖くなった」
「ヒチョル…」
「だからきつく当たるんだ。俺がおかしいわけじゃないあの存在がおかしい、そう転嫁するんだよ。実際、俺もそうだったしな。お前にやたら当たってた」
ここに入った当時は僕とヒチョルの折り合いが悪くて、随分とぶつかった。
それでも僕はヒチョルの腕は尊敬していたし、考え方が近いのに表現の仕方があまりにも違っていて納得できない部分もあった。
今だってそれは変わらないけど、お互いに相手の中身が見えるようになってからはどうにか折り合いは付けられるようになったし、何より僕はヒチョルが信頼できる存在になっている。
「でも、俺は相手が男だったってだけで仕方ない、何より傍に居たいって方が勝ってたから開き直れたけど、あれは違う」
「キュヒョナがヒューマノイドだから?」
「そうだな。プライドも許さないんだろ。自分たちが作った『物』に心を奪われるなんて人形に惚れるのと大差はない」
「でも、キュヒョナには意思だって感情だってあるんだ。僕たちと変わらない」
「ああ、だからこそ魅かれたんだろうけどそんなことはどうだっていいんだ。あいつの中ではキュヒョナは物でしかない。認められない…俺はシウォンって奴の強さを褒め称えてやりたいよ」
自分の中の常識や概念を壊して、キュヒョンの存在を認めてくれた。
キュヒョンの中の感情を否定せずに伸ばしてくれた。
彼の強さと優しさをキュヒョンが愛したとして誰が文句を言えるんだ。
どうしたら僕は彼らを守ることができるんだろう。
僕の手の中から空になった紙コップを取り上げながらヒチョルが髪を撫でた。
「…行こうか」
「うん」
所長室の前に立って大きく息を吸うと、横のヒチョルが背中をたたく。
うん、一人じゃない。
そう、笑って。
ノックしてドアを開ける。
こちらの話を聞いてくれたものの、大体の事情は把握しているらしい所長は大袈裟に溜息をついて苦笑いした。
「まぁ、けがをしたわけでもないし、そのことについては不問だよ」
ほっとして、肩から力がぬける。
「しかし感情を学習するとは素晴らしい。ただ制御できないとなると…リスクは高いな。とりあえず…」
審判は下される。
「学習したメモリーだけは残して、元の主のメモリーだけ削除すれば問題はないんじゃないのか?」
人には当たり前で、キュヒョンにとっては残酷な決定だ。