【K-4】
病院の前にある銀杏並木はすでに葉も散り落ちて、足元には金色の絨毯の名残だけが残っていた。
枝だけになった高い木をぼんやりと見上げる。
どこにでもあるのに、現存する唯一のイチョウ綱で「生きている化石」と呼ばれているんだとシウォンが言った。
こんなにどこにだってあるのに貴重なんて不思議だ。
「去年もここで見たはずなのに、今はあの銀杏並木を一緒に歩くだけで楽しいんだ。だから今年は秋になって綺麗に色づくのが楽しみなんだよ」
彼が言った言葉を思い出して、顔を綻ばせる。
高く澄んだ青空に銀杏の枝。
「キュヒョナ」
不意に声を掛けられて顔を向けるとシウォンの兄が立っていた。
手を挙げて微笑む彼に会釈する。
「悪い、待った?」
「いいえ。それほど」
銀杏の木を見上げて目を細めた彼はシウォンとは違うけれど美形だ。
「黄葉は綺麗だった?」
「…はい」
シウォンと見上げた黄金色はまだ鮮やかに残っている。
「落ち着きましたか?」
「それなりにはね。…でも早いな。あいつがいなくなってもう一か月近くになるのか…ツリーの飾りつけ楽しみにしていたのに」
その言葉であの日のことを思い出す。
あまりにも唐突だった。
白い壁、白い天井、真っ白な世界の中にシウォンがいた。
泣いてその体に縋る母親。
会いに来れる回数が少なくても彼女はいつでもシウォンに愛情を注いでいた。
静かに俯いた父親。
精悍な顔立ちにシウォンを重ねる。
父親似なんだな、なんて考えた。
声を殺して静かに泣く兄。
シウォンが本当に信頼していた人。
こんなに悲しい場面に遭遇しているのに不思議と涙の一滴も出てこないのは、自分がヒューマノイドだからなのか。
悲しいのに、辛いのに。
「銀杏並木を歩けたから、次はツリーの飾りつけだな」
そう言ったシウォン。
去年のクリスマス前。
メンテナンスに行っている間に病室に飾り付けられたクリスマスツリー。
初めて見たそれに感激したと同時に飾り付けをしたかったと拗ねた僕に、シウォンが来年は一緒に飾り付けをしようと言ったのを覚えていてくれたことが嬉しかった。
「もうメモリーを消去されたかと思ってた」
「まだ…しばらくは」
研究所に戻った僕にジョンスヒョンは僕なんかよりも泣きそうな顔をして
「キュヒョナ。君たちは僕たちと違って忘れることが出来ないから、辛かったらメモリーを消去するけど」
「どのみち、僕が次の誰かのところに行くときには消去されるんだよね?」
次も誰かの付き添いのようなことをするかもしれない。
全然違うことをするのかもしれない。
どんなことになるとしても、学習した感情や情報は残されてシウォンに関することは全て消去されるのだ。
「嫌だ。しないで。辛いけど、悲しいけど、シウォナの事を忘れる方が辛くて悲しい」
ジョンスヒョンは僕の頭を撫でて「そっか」って悲しそうに笑った。
だから僕のメモリーはそのままだ。
「もうすぐ、クリスマスですもんね」
「うん。…それで、これ」
シウォンの兄が紙袋を差し出す。
「なんですか?」
「シウォナがキュヒョナのために用意してたんだ。クリスマスまで俺が預かってるはずだった。バタバタしてて忘れるところだったよ」
受け取った紙袋の中の長方形の箱。
「腕時計だよ」
「時計?」
「…時計の秒針の音は鼓動と似ているから。自分の鼓動がなくなっても、自分が渡したものがキュヒョナの傍で音を刻んでくれればいい、そういってた」
なに、その勝手な理屈。
呼吸で笑って、青空を見上げる。
綺麗な空の青。
そこにあったはずの黄金色の葉。
どれも彼が愛したもの。
自分が愛したかったもの。
ぼやけた視界で青と枝の色の境界線が曖昧になった。
「…知ってたよ。シウォナが本当にキュヒョナの事を愛してたって。あいつが自分からそう言った。誰にも秘密にしていたらキュヒョナを護れないからヒョンだけは知っててほしいって、全部聞いた。…キュヒョナ、あいつの傍にいてくれてありがとう」
あの時にすら一滴の涙も零れなかったのに、今は溢れて止まらなくて。
ただ首を横に振る。
違う。
傍にいたんじゃない。
「…僕の方こそ、シウォナの傍に居させてくれてありがとうございました」
シウォンや、シウォンの兄さん、そしてジョンスヒョン。
みんなが彼の傍に居させてくれたんだ。
僕は人じゃない。
けど、人と同じように愛されて、守られて、幸せで。
なのに人と同じように老いることも時を止めることも出来ない悲しさで。
シウォンがいなくなった寂しさで。
涙が止まらなかった。