授業をするとき、生徒にわからせるために「わからない」と思わせることが大事である。
たとえば、古文を読ませる。
もちろん読める生徒もいるかもしれないが、読めない生徒が多いはずだ。
これを、いきなり教師が読むのはもったいない。
生徒に「読めない」「わからない」という思いを先に持たせて読むから、生徒は聞く。
これはさまざまな授業行為に当てはまる。
最初から答えを示すのではなく、示すべきは疑問なのである。
授業をするとき、生徒にわからせるために「わからない」と思わせることが大事である。
たとえば、古文を読ませる。
もちろん読める生徒もいるかもしれないが、読めない生徒が多いはずだ。
これを、いきなり教師が読むのはもったいない。
生徒に「読めない」「わからない」という思いを先に持たせて読むから、生徒は聞く。
これはさまざまな授業行為に当てはまる。
最初から答えを示すのではなく、示すべきは疑問なのである。
ある男子生徒が授業中に女性教員に下ネタを言った。
かなりキツい言葉だ。
生徒を呼んだ。
「悪いが、私には指導できない。お母さんに連絡して指導してもらおうと思う。ケータイの番号を教えてくれるか?」
「すいません、覚えていません。」
「そうか。今調べてきたらこの番号のようだ。今から電話する。」
「先生・・それだけは、やめてもらえませんか。」
「私には指導できないんだ。これは家庭教育だと思っているからね。」
「本当に・・それだけはやめてください・・」(生徒半ベソ)
「そうか・・じゃあ、これから二度と下ネタ言わないと約束するのと、お母さんに電話するの、どっちがいい?」
「二度と言いません!」
「約束できるの?」
「約束します!」
この生徒は卒業まで二度と下ネタを言わなかった。
ただ、このことを大ごとにする教員は多いと思う。
こんなので電話された家庭のことを想像しなければならないのだ。
ある日、教室においていた観葉植物を、男子生徒がふざけて倒した。
鉢は割れ、植物は枝が折れ、葉っぱも落ち、見るも無残な姿になった。
そのときに言った。
「ケガはしてないか?」
「大丈夫です。すいません。」
最初の一言を間違えると、ヘタすればクレームになる。
最初の一言を間違えないと、信頼につながる。
生徒は放課後、何も言わないのに必死に掃除をしてくれた。